【能瀬訴訟 since. 2009.2.18】 控訴審でも敗北した被告は最高裁に上訴するも、あえなく有罪。 原告市民の勝訴確定 最高裁、被告「被害者団体」の上告を棄却。 「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」の不法行為と損害賠償責任が確定。2013.6.24 原告:能瀬英太郎 被告:森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会 重症被害者家族から救援を頼まれ、今や加害企業・森永の防波堤と化して、わが子の将来を案じる親や、被害者本人の発言の機会を抑圧し続けてきた。その一方で「被害者」や「救済」の看板を最大限ひけらかしながら、世間を欺き、被害者の声を押しつぶし、「森永への感謝」なるスローガンをぶち上げ、被害者の尊厳を奪うあらゆる施策を張り巡らし続けている同会。 重症被害者家族の人権救済の立場から被害者を支援した一市民に対し、ウソを羅列して徹底的な人身攻撃を行った「被害者団体」の異常性が法的に認定された。 なお、被告は、国会議員経験もある弁護士を代理人に立てて虚勢をはったが、地裁・高裁すべてで敗訴。原告である能瀬英太郎氏は本人訴訟(代理人弁護士を立てずに独力で裁判すること)で勝利した。
6月24日、最高裁から原告の能瀬英太郎氏宅に調書が届いた。 主文は 1.本件上告を棄却する。 2.本件を上告審として受理しない。 3.上告費用及び申立費用は上告人兼申立人の負担とする。 被告「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が、被害者家族を支援し「救済」の現状を批判する市民に対して、同会の機関紙『ひかり』※1に確信的な嘘で塗り固めた記事を掲載し、市民を口汚く誹謗中傷した行為の有罪が最高裁で確定した。 ※1 救済運動創始者・岡崎哲夫によって手づくりで制作が始まった「ひかり」を、謀略によって岡崎を排除し編集権を乗っ取って、今では被害者支配のプロパガンダとして利用している。 市民社会の公正議論を計画的な嘘の羅列で弾圧する団体は、いかなる美名の看板を掲げようとも、また、いかに美辞麗句を並べようとも、決して許されないという判決が確定した。腐敗した被害者団体の幹部の傍若無人な所業と作風に、制裁が加えられることになった。 今回の事件は、市民的資質を遺憾なく発揮した原告の努力が、民主社会の司法判断を正しく機能させたという意味で、戦後史上極めて重要な出来事と言えるだろう。 そしてまた、日本の隅々を未だ覆う病理に、今後、市民がタブーを越えてメスをいれることを可能にする貴重な判例となった。
市民は産業公害の当事者そのもの そんな彼を嫌悪し、被害者から彼を遠避けようと手段を選ばぬ行為に出た被害者団体の背景に何があるかは、市民運動の経験豊かな方々にはすぐにお察しがつくだろう。(参考資料3. 4.)現被害者団体の曰く、「被害者でも親でもないまったくの部外者である能瀬氏」云々…である。一方で周囲に沢山まとわりつく民主集中制関係者を部外者とは言わない超ご都合主義。都合の悪い指摘をする市民だけに的を絞って、それを「部外者」とか「よそ者」といっておきながら、一般国民の税金を下駄履きさせて森永の負担を減らす仕掛けをして恥じることをしらない。今後、彼らが放言する所の「よそ者である国民」に対して説明責任が問われるだろうが、まず期待はできない。 不透明な閉鎖社会は絶対的に腐敗する この数十年間、被害者団体や財団の周囲で発生してきた、おぞましい事実がすでに完全に公になっていても、それらが一切改善されていない現実をみれば、社会の改革が進まない現象の根底にある普遍的共通性をみることができる。 閉じた思想・イデオロギーと、閉じた共同体が合併し、弱者にかかわる利権をむさぼりあい、国家も、意のままになるちょうどいい貧困ビジネス代行者として利用する。人間の尊厳を毀損していく。これはどんな社会体制にでも、どんな立派らしいスローガンの中にでも、共通して破壊的作用として現れる現象だ。 岡崎哲夫はかつて、自著「秘録 北満永久要塞〜関東軍の最期〜」で次のように書いた。 「たとえどんなに立派らしい理論や思想に飾られていようとも、戦争の美化と修飾とは、つねに厳しく警戒しなければならない。 そして『事実』をありのままに見据えてたじろがない強靭な精神が、日本人の心に成長しない限り、日本の若い世代は再び肉弾として消耗される恐れがあろう。 若い人々よ、冷静な理性と合理的な判断とを失わずに行動せよ。ーーーこれが一切の危機に対する最後の切り札である。」 「秘録 北満永久要塞」P.256 この戦争とは、戦争なるものを必然的に導く「全ての不正なおこない」或いは「批判精神の劣化・後退」と読み替えたほうが良いだろう。最近の共産主義信奉者らが恥知らずに行う「平和と民主主義」という看板の下での数々の不正行為もそっくり当てはまる。 彼が、おびただしい戦友の死と戦争の犠牲者の屍を越えて生還した経験から、この言葉通りの不器用な人生を歩んだ事と、彼が自ら設立し全身全霊をかけて育てた現被害者団体であろうが、内部に、金銭支給と同時に発生した腐敗を正面から批判し、そこから結果的に除名されたことは、ただ一つの同じことを示しているに過ぎない。 市民的資質は「タブーなき批判精神」と「開かれた心」。 何が人間の理性の荒廃を導くかを、学徒動員や、軍隊生活、国境要塞での全滅戦、その後のシベリア抑留とそこでの軍国主義と共産主義の見事な結合現象、その後の森永ヒ素ミルク中毒事件での被害児の親として、ありとあらゆる不正を血まみれの世界で見続けていた彼にとっては、資本主義も社会主義も、共産主義と言う名のスターリン主義も全くタブーではなかった。これらは、すべて、過ちを犯せば同列に批判される対象でしかない。この一部の市井の戦争体験者たちが持ち続けた、ある種フラットな思考こそ、現代の市民の志向に通じるものがあると考えることもできるだろう。 森永ヒ素ミルク中毒事件の底流に流れる悪徳の根源 事実を真正面から見ようとしない人間集団はどのように形成されるのか? 事実を指摘されてそれに攻撃的な弾圧を加える集団の背景には何があるのか? 少なくとも、この世のあらゆる不正な行為との共通点が底流に存在していることだけは明確に確認できる。 能瀬英太郎氏の数々の準備書面からは、今の日本社会の政治的疲労が明瞭に読み取れるから興味深い。 森永ヒ素ミルク中毒事件はそのような問題として存在し続けている。それと向き合い、格闘しながら考えていくことが、人間の歴史そのものなのかもしれない。その歴史的経験が社会の構成員の記憶にしっかりと蓄積され継承されていく中でしか、社会は改善されないだろう。今の日本は、数十年前から、いつのまにか、同じグラウンドをぐるぐる回るだけの社会に成り果てているかもしれないのだ。でも、一方で、そうであってはならないと考える新しい世代が今、次々に生まれている。変化はいつ起こるかわからないが、確実に準備されている。 ----------------------------------------------- 控訴審判決 控訴審2012.7.17-9.27
控訴審、開始と同時に終了(結審) 被告代理人「とりつくシマ」なし 控訴審1回で終わる。 公害被害者救済のあり方を批判する市民(能瀬英太郎氏)に対して、機関紙を使ったウソの羅列で人身攻撃をした被告「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」は、3月26日の一審判決で、不法行為の認定を受け、原告に対する損害賠償を命じられた。(能瀬訴訟 第一審) 被告はそれを不服として控訴し、5月29日には44ページの控訴理由書(書証含)を提出、第1回公判当日には、さらに追加で40ページ(書証含)の書面を出してきた。 2012年7月17日、広島高裁岡山支部にて、控訴審の第一回公判が開かれた。(原告は出席、被告は代理人のみ出席) ところが、公判は10分もたたないうちに終わった。そして同日の公判をもって控訴審は終了、つまり「結審」した。 公判開始直後からのやりとり(要旨) 裁判官 「あまり新しい主張はないね」「特に新しいということは無いね」 被告代理人 「新しい事実はある…」 裁判官 「主張しているものは、今まで出ているのでいいね」 「結局、控訴人(被告のこと)は和解をのめなかったんでしょ」 被告代理人 「率直に申し上げて、被控訴人(能瀬氏)の出した準備書面はあまり読めてない」 …(中略)… 裁判官 「もう裁判官が判断するしかないかね」…(中略)… 「前の裁判官が熱心にやってくれたからね」 裁判官 「これで結審。判決は9月27日 1時10分。」 〜終了〜 -------------------------------------------- 平成21年(ワ)第249号損害賠償等請求事件 原告 能瀬英太郎 →「被控訴人」 被告 森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会 →「控訴人」 係争法廷 岡山地裁 →広島高裁岡山支部 庶務課 086-222-8851 ⇒※第一審のページは→【能瀬訴訟】一審(判決文全文掲載)
被告の不法行為を認定し、損害賠償を被告に命じた今次・一審判決は、被告のメンツを最大限考慮しながら書いた裁判官の苦心の作だ。被告の不法行為は認定されたが、被告が能瀬氏の心の中を知り尽くしていると言わんばかりの超主観的な人身攻撃についてだけ適用した。つまり、最小限に違法行為を認定したに過ぎない。被告はそれさえも不服らしい。争点となった事実関係=即ち被告が機関紙に書いた内容がウソだと裁判所から認定されたことなど気にならないようだ。ウソを書くことへの反省が全く見られない…こんな最低限のモラルが無ければ、どこまで行っても、結果は同じだ。 で、広島高裁岡山支部は、控訴審を1回で終了した。 いずれにしても、あれだけ、機関紙でウソをもとに原告を口汚くののしっておいて、自らには、完全無欠の無罪判決を期待していたとは、驚くべき発想だ。 係争事実に関して全部、被告のウソが証明されたが、それでも、被告に少しは花をもたせてやろうという裁判官のハカライが判決文の随所にある。それが理解できないらしい。 裁判官は、被告がウソをついている事実は否定しようがないから、ウソであることを断じた上で、ことごとく叱っている。だがその上でも、 …「事実が真実であることの証明がないときにも、行為者において上記事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されるのが相当であるところ」… といった極めて寛大な判断を、公益側からの一市民への確信的報復行為にさえも適用して、被告のメンツをかろうじて保ってやった。にも関わらずこれを不服というのだ。ここで失われたのは、「被告の行き場」だ。それに気がついていないらしい。 で、広島高裁岡山支部は、控訴審を1回で終了した。 ■メンツ優先する結果、「薮やぶ蛇へび」 に陥るパターン。 加えて、被告は、この裁判で原告が目指した重要な目的の一つが、原告自身が「判決前」に公開した談話(※1)で主張したとおり、歴史の闇を明るみにすることであることに、まだ、気がつかないようだ。 ※1「重大な出典と証拠の開示に成功」能瀬英太郎 著 http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-nose-sosyou-hanketsu-pre-danwa01.pdf 被告団体の創設者であり、被告団体から1980年代半ばに謀略的除名をうけた、故・岡崎哲夫氏はこう述べている。 「たとえ金で買収され、世間が凄惨な事件を忘れようとも、歴史を欺くことは決してできない。」 犯罪企業に飼われた民主集中制が現世の利益にまみれ、得意とする独裁的内部統制で社会的弱者を管理することもまた、彼ら自身を汚辱で満たし、その所業が、歴史に永久に刻み込まれるだけである。 声なき声の圧殺は、仮に一時的に成功しても、翻ってその対極の印画紙に、浅ましい人間の負の姿を焼付け、定着させるだけである。 (当サイトでも、被告が控訴するまでは、被告有罪の文言を差し控えていたが、被告が自分からこのことを実質的に認める事態に、正直驚いている。この判決文の行間からは、 「この判決に不服ならば、控訴したほうが、その時点で <負け> になる、ということですよ。その精神性の偏狭さにおいて…」 というメッセージが今さらながら聞こえてきそうである。裁判官は、公正議論に、絶対的最小限のモラル=「人身攻撃の禁止」を要求したに過ぎないのであるから。) ■歴史を欺(あざむ)く行為とは 本年、2012年1月のウイキペディア大量改ざん事件でも明らかとなったが、加害企業の犯罪を免罪し、凄惨な歴史の本質を偽造する行為に手を染める者は、表向きどんな美辞麗句を語ろうとも、企業の金をどう分配しようとも、公害被害者の全人格をもてあそび、否定することに他ならない。なぜなら、歴史の改ざん自体が、人間の尊厳・個の尊厳を否定することにつながる行為だからである。 ウィキペディア(Wikipedia)事件 加害企業の免罪を目的とした法理の改ざん http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/morinaga-hiso-wikipedia-kaihen-pdf-ver1.pdf -------------------------------------------------------------- 当サイト及び能瀬訴訟等に関してのご意見をお待ちしております。 なおご意見は、投稿者の許可無く公表はしませんのでご安心下さい。 〒700-0811 岡山市北区番町1-10-30 森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 宛 電話でのご連絡はご遠慮下さい。 --------------------------------------------------------------------- 森永ヒ素ミルク中毒事件の概要は、以下の文献、及び 当サイトの学術論文アーカイブからも、ご覧頂けます。 ↓現在の問題点にまで踏み込んだ能瀬英太郎氏のレポート ↓能瀬レポート 英語版 (Nose Report) 表向き「公正中立」を偽装して登場した「第三者委員会」が、被害者を無視して 勝手に作った不正な「診断基準」。その文中に使われた「原病」という表現に ついての解説つき。↓ 能瀬レポート日英対訳版 まだ解決を見ない日本の戦後初の産業公害 PDF:136KB (著作権Free: 英語教育の教材等ご自由にコピーしてお使い下さい。) (日本における第三者委員会方式は森永事件以降、常用され、水俣病でも被害の隠蔽に活用されるようになるという要注意なもの。) ↓救済システムでの問題発生を学術的視点からすでに予期している秀逸な論文。 トップページへ戻る |