1000番
やっと私のサイトも1000番を迎えることができそうです。
1000番を踏んだ方はご連絡ください。
何もありません。
あしからず。
あ、心をこめた感謝のメールは遅らせていただきます。
私がhpを作るにあたって考えていたことは、
目標 : 「反響及び反応のメール100本! いや、やっぱり50本にしとこ・・・・」
であった。
つまり、カウンター数を目標にしなかったのだ。
やはりというか、現在は空メールを含めても、20本にも満たないお寒い状況である。
それはそれで気にしてはいない。
積極的に公開していないので当然なのだ。
ホームページを開設したからには、多くの人に見てもらいたいと思うのは当然の心理だ。
ただし私の場合、他人のページを訪ねて感想メールを送ったり、掲示板に書き込んだりする作業は苦手である。いや億劫なのである。
「そこまでして見てもらわなくてもいいや。」
すぐに、そう思ってしまう。
この性格はあらゆることに対して顔を覗かせる。
それが嫌でたまに熱くなってはみるが、長くは続かない。
そこそこのレベルで満足してしまうようだ。
そこへ行くと、10万アクセスクラスのホームページ管理人はなるほどと思う努力が感じられる。おそらく実生活でも、能力に加えて努力を怠らない人達なのであろう。
私には羨ましい。
羨ましいと思う時点で努力を投げているわけである。
森喜朗首相
最高権力者であっても、配慮の足りない人というのはいるものである。
「天皇を中心とした神の国」なんだってさ。
「教育者や新聞社が共産党に支配されている沖縄県」(森首相の発言)の人達はどう思ったのだろうか。
ここに発言がリアルプレイヤーで載っている。 ついでに氏の過去の失言も集約されているので、見てみるとおもしろい。
で、先日の朝日新聞は久々に切れ味鋭い内容で、すっきりした。
このような問題になると地元地方紙の内容とは一味も二味も違うようだ。
「国家観などの論争を経ずに、密室協議で首相になった人だから」(朝日新聞より引用)このような発言が飛び出すのだそうだが、
そんな論争を経験しなくても、理解できている人が首相になるのかと思っていたら、現実はどうやら違っていたらしい。
なんだか私の経験した この問題と、その決着によく似ている。
国旗・国歌法以来、この手の問題が鼻についてしょうがない。
日本はいったいどんな道を目指しているのだろう。
もっとも、一連の問題は為政者によるもので、民衆が望んではいないと思うが、 森首相の目指す教育改革が実現すれば、国家に滅私奉公を熱く語る若者が増えるかもしれない。
いまさら、国旗・国歌法の事を書くのは、賞味期限切れのようで、いわば冷めたピザはまずくて嫌いなので書きたくない。
ひとつだけ気になることは、国旗国歌法では、確か、国旗掲揚や国歌斉唱を義務付けるものではないと理解していたのだが、私の誤りだったのだろうか?
教育の場で、義務のように指導する教育委員会は、法の遵守に対してどう思っているのだろうか?
私はといえば、国旗・国歌法制定以前は式典で国歌を歌っていた。
今は、歌わない。
これを天邪鬼という。
ささやかな抵抗。
Jimmy Scott
数日前に、ジミー・スコットのライブをBS放送でやっていた。
先月、同じツアーのライブが岡山でもあり、見に行ってきたばかり。
そのときの話を少し。
綾戸智絵の後楽園ライブへ行っての帰り、コマンドというバーで「ジミー・スコット」というボーカリストのCDを聞いた。
確かにいい。
声変わりしてないため中性的な若々しい声なのだが、年齢はとうに70を超えている。
渋いバラードを丁寧に唄うっていう印象であった。
その日は、岡山でもライブがあるという話を聞いて帰っていた。
後日、Bonさんと話をしていたら、聞きたいとのこと。
一緒にライブへ行こうという事になった。
双方ともに夫婦連れで。
嫁さんサービスという訳だが、もちろん私自身も楽しみにしていた。
なにしろ、ライブハウスで音楽を聴いた経験は数えるほどもない。
当日は、Bonさんの家へお邪魔して、一緒に食事してからライブハウスへ向かうことになった。
ごちそうさまでした。おいしかったです。
Bonさん家は、一人娘。
我が家は娘二人。
自然に子育ての話になってしまう。
もっとも、彼の娘は既にニューヨークで職についているし、我が家の中3と小6の娘はこれからであるから、もっぱら私たちが参考意見をうかがうだけのようになってしまった。
我が家の娘たちも、海外で可能性を探る位に、自由な発想をもてくれればよいのだが。
ライブハウスへ行き入場を待っていると、見知った顔を見つける。
もっとも、バーの店主二人と焼肉屋さん(元ロック喫茶店主)だが。
これで私の知己は酒に関係のある人ばかりということが知れてしまった。
ジミー・スコットは良かった。
言葉を非常に大切に歌っている。
もちろん私に理解できるのは、たまに聞き取れる単語のみだが。
彼はボーカルはジャズに分類すると違和感がある。
アメリカ先住民の出身だそうだが、黒人とは別の、マイノリティーの悲哀を歌い上げているようでならない。
歌詞を理解できない私に、そこまで感じさせる何かを持っているのである。
感動したし、改めて英語力のなさに悔しい思いをした。
おまけのような書き方だが、バックのドラムは非常に気に入った。
渋柿100個分位しぶーいジャズドラム。
そんなジミー・スコットの、東京ライブでの様子とインタビューが放送されたのである。
前半は岡山ライブと同じ。
後半は日本人のオーケストラ(弦6人、管4人位。ちなみに正規のバックは、ピアノ、ドラム、ウッドベース。)が加わった。
岡山で感じた物足りなさは、このビッグバンドが欠けていたからに他ならないようだ。
地方だから手抜きされたかな?
などと思っていたが、それほどでもなかったようだ。
100人のライブと1000人のコンサートを比較するわけにも行くまい。
日本人のオケは、非常に巧い。外国から来るプレイヤーと比較しても遜色ない。
でも、巧いだけ。
私にジャズの評論ができるとは思わないが、ノリが悪いのは事実だと思う。
その原因は、私の独断と偏見で言わせてもらうと、ビートのとり方にすべてあると思っている。
日本の手拍子は・・・・・タン、タン、タン、タン
アメリカのビートは・・・・・ンタッ、ンタッ、ンタッ、ンタッ
このビートでもって3歳くらいから踊っている連中と、小学校の音楽で、「タン、タン、タン、タン」などとやってきた私たちでは土壌が違うようである。
放送の最後でのラストナンバーは、"Sometimes feel like motherlesschild."
訳すと、「ときには母のない子のように」
んっ?
ここで気づいた人は中年である。
「カルメンマキ」っていう一発屋フォークシンガーが大昔に居た。
その彼女のソロデビュー曲が「ときには母のない子のように」であった。
むちゃくちゃ暗い雰囲気だったのだが、そういえば似てなくもない。
ジミー・スコットも同時期に活動していたはずで、"Sometimes feel like motherlesschild."が、当時歌っていた曲であったとすれば、カルメンマキはパクっていたわけだ。
しかし、曲が同じであるかどうかの見分けがつかない。
見分けがつかないのであればパクリではない。
確かめていないのでなんともいえないが、カルメンマキがジミー・スコットを意識していた可能性は十分にある。
彼女は、後に「カルメンマキとオズ」っていうハードロックバンドで見事復活。
今になって思うとあのバンド、ジャニスジョプリンの雰囲気によく似てたなあ。
雰囲気を真似るのは著作権の侵害にはならないもんな。
「つんく」の作曲手法に比べれば、はるかにかわいらしいパクリではある。
下の空メールというのは、わざわざ感想メールを書くのが面倒な方に
でも、読んだよって知らせてあげようと言う奇特な方のために
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