親の目からみた自閉症に対する問題書籍 (1998.9)
トチタロ
レオ・カナー博士により、「自閉症」という障害が発表されてからほぼ半世紀が過ぎました。その間、多くの方たちがその原因究明と、その障害の克服のために多大なる努力を続けてこられました。
しかし、残念ながら現在まだ「自閉症」の発症の原因も、その治療法もいまだ仮説段階なのでは・・・、というのが親としての実感です。
ただ、一方で私たちの子ども、自閉症という困難な障害を持った子どもたちのために、懸命に力をつくしてくれている方がありながら、その反対軸でいまだに旧来の「自閉症心因論」のように、すべて親の育て方のせいに安易に結論づけるような出版物も刊行されています。
自閉症児を持つ親として、看過できない書籍、注意をはらって読むべき書籍、過去の歴史的文献と認識して心して読むべき書籍、いろいろあると思います。
とりあえず、ここでは私の目についた本の中から、問題のありそうな本をいくつか列挙してあります。
これらの本に関しての論旨は、今はあくまでも私個人の主観に基づくものです。異論・反論をお持ちの方もあると思います。みなさんの意見を集めて、より客観性の高いものにしていきたいと思っています。
また、これら以外にも問題あると思われる書籍・事実をご存知の方はお知らせ下さい。 一人では『・・腹立つな・・』で終わってしまうことも、みんなの声が集まれば、我が子の育つ周りの世界を変える力にもなると思います。
みなさんの意見を集約してその声をまとめていきたいと願っています。
このレポートを読まれた方にお願いします。内容を見て抗議の声をあげるのは結構ですが、いくら腹がたったといって貴重な時間を使ってまで読まないようにして下さい。
もっと今読むべき本、自閉症の療育に役立つ本はたくさんあります。
(推薦本は「私のお薦め本」のコーナーに載せています)
我が子の療育にとっての大切な時期、変な雑音にまどわされないように、という思いでまとめたレポートです。
また同時に後に続く人たちの事を考えた時には、自閉症児を持つ親として、先輩として、抗議すべき表現には、断固として抗議しておくべき、という思いをこめたレポートです。
●『どんな子だって必ず伸びる!』(七田
眞:PHP研究所)
この問題をとりあげるきっかけとなった書籍で、自閉症の原因が母親の育て方のせい、愛撫の欠如にあると断定しています。
「自閉症児は母親から十分言葉をかけてもらわずに育ったために、言語の要である左脳の働きがうまく機能しないのです。」(34P)「自閉症児は学習障害児です。0歳から1歳のときに、ほとんど手をかけず、言葉を学ばせず、放っておいたために、急速に学習に対する意欲を失ってしまい、学ばなくなって学習障害を起こしているのです。」(42P)
この本自体は、暗示療法やイメージ療法により癌を治す方法を紹介したり(100P)、胎児がテレパシーで相手の心がわかる(37P)と主張したり、私としてはあまり真剣に読む気にはなれなかった本でした。
ただ、この問題を提起した会員の方が言われたように、より問題となるのは、この本が一般の書店だけではなく、生協の共同購入を通じて岡山県内の組合員の方に広く販売されている、という事実の方にあると思われます。
私たち親は、子どもの事を周囲の方に少しでも理解してほしくて、日頃から近所の方にも働きかけ、話しかけています。その仲間の組合員の方が、前述のような自閉症の心因論を読んで、信じてしまったら・・・。そう思うと恐ろしいものがあります。
私を含め、生協の品質管理を信じて共同購入を利用しているという方は多いと思います。出来うるならば、生協さんにあっては今後は自閉症の正しい理解の手助けとなるような本を紹介して欲しいと願っています。
話が少し、問題書籍からそれましたが、ここで同氏の著作の中からもう一冊、指摘させていただきます。
●『赤ちゃんを賢く育てる秘訣』(七田 眞:日本経済通信社)
〔テレビっ子に多い自閉症児〕
「テレビ時代に入って、自閉症児
言語障害の子どもがあちこちに出始めています。」
「幼児教育に関心のある私は、そのような自閉症児をおもちのお母さん方に、どのような育て方をされたかいちいち尋ねて歩いたのです。すると、大人しい子で手がかからなかった。テレビを見せていればいい子にしているので、自分は忙しく仕事をしながら、赤ちゃんにはずっとテレビを見せていた、という返事が決まって返って来るので、自閉児はテレビが元凶らしいことを知ったのです。そこで0歳教育の講演を頼まれるたびに、テレビが自閉症児をつくっているおそれがあるという一項を必ず加えていたものです。ところがつい最近、『テレビに子守りをさせないで』という本が現れました。テレビが自閉症児を生み出していることをくわしく研究された本です。」(100P)
もし昔、そんな講演会に出席されて、我が子が自閉症になったのは、私が子どもにテレビを見せたせいなのだろうか、などといたたまれない思いを抱かれたお母さんがいたとしたら、同情の念を禁じ得ません。
いまでは、文部省でも「自閉症の原因は、心因性のものとは考えられない。」とはっきり述べています。(「情緒障害児指導事例集 〜自閉児を中心として〜1P」)
また、前述の「つい最近」というのはこの本の初版時の昭和55年当時の意味です。ある意味で恐いのはこの本が現在も35刷と版を重ねながら、同じ主張で店頭に置かれていることのように思われます。
ここで、「つい最近」と紹介された本についても触れておきます。
●『テレビに子守りをさせないで』(岩佐京子:水曜社)
昭和53年新版、初版。“自閉症の原因は人工的に音のでるもの。”という主張から“テレビを筆頭にラジオやレコード、もしそれらもなければ・・「音のでるくす玉(105P)」(注:ガラガラの事?)、それらのスイッチを完全に消すことで、自閉症の発生は未然に防げる(108P)。”という内容の本です。
確かにテレビは子どもの成長にとって良い影響を与えるとは思えませんし、それよりは母親からの言葉かけの方が勝っているのは自明の事だとおもいます。ただ、それを自閉症の原因だと短絡的に結び付けるのは、問題あり、というところです。
岩佐氏自身も、すでに自閉症協会(親の会時代)の座談会に出席したおり、話し合いの中で見解を変えた、という経緯もあり、ここではこの本の内容についてはこれ以上触れないでおきます。
ただ、氏はその後もトーンダウンしながらも、独自の視点から自閉症に関する書籍を発行し続けておられますので、その中から少しだけとりあげておきます。
●『危険! テレビが幼児をダメにする!!』(岩佐京子:コスモトゥーワン)
ここに述べられている自閉症の説明は、「大きくなるほど悪くなる」とか「顔つきが崩れる」とか問題表現のタイトルはあるのですが、それは副題の「現場カウンセラーが明かす驚くべき事実 言葉の遅れ、思考力の低下、自閉症児の原因が判明」からもわかるように、センセーショナルに売らんかな、という出版社側の問題のようにも思えます。
自閉症に関する記述の箇所に関しては、その表現に多少問題はあるものの、その事実関係にあたってはおおむね納得のいくものでした。(表現の仕方に、ムッとくる個所はありましたが)ただ、テレビの悪影響の記述が延々と続いた後に、突然『最も恐い「自閉症」!!』などというタイトルがあらわれると、前著のようにテレビを見せているから自閉症になった、という印象を一般読者に与えるような気がします。(悪意にとると、出版社側はそれをショッキングなダシにして、販売のウリにしているようにも思えます。)
●『自閉症の謎に挑む』(岩佐京子:ルナ子ども相談所)
「もし、テレビの長時間視聴そのものが原因であるならば、もっと大勢の自閉症児が出てもよいはずである。」(37P)という、前著からの反省からか、また新説(?)を記載している本です。
ここでは、自閉症は生まれつきの障害ではなく、ニューロンの変性と死滅によっておきる病気だと主張しています。テレビなどの機械音によって健康状態が押し下げられ、ストレスによって活性酸素が発生し、そこに栄養不良で抗酸化物質の不足した時ニューロンの破壊を招き、自閉症が発症する、と結論づけています。
治療の方法は「テレビやラジオ、カセットやカーラジオもふくめて機械音を消すことと、味つき飲み物をやめることの二つを完全に実施すれば、1〜2か月で症状は好転する。」(230P)と相変わらずです。
あとがきの中で氏がいみじくも述べているように、氏がインスピレーションを受けて唱えたと主張する「活性酸素原因説」も、まだ「民間療法」「珍説」に過ぎないように思われます。
民間療法のなかで、問題となりそうな本をもう一冊とりあげます。
●『自閉症はこうして治す』(飯野節夫:現代書林)
著者は、東洋医学の視点から自閉症が「五臓の色体表」の中の真中の行の脾臓・胃に起因する疾患であるとしています。
その発病要因の第一は食生活の極端で長期間の偏りによる体質の悪化にあり、そこにひきがねとしてさまざまなストレッサー(ストレスとなる要因)、たとえば
@テレビ、ラジオ、テープレコーダー、レコードなどの機械音に長時間さらされること(つまりテレビなどに子守りをさせること)
A夫婦げんかや親子げんかなどが家庭内にたえず、いつも異常に緊張した人間関係のもとにおかれること、
B転勤などのために引越しなどが重なること、
C夫婦共働きなどのために、やむをえず子どもを親類や他人にあずけること
等々が加わったときに、はじめて自閉症が発病する。(23P)
論点としては、先の岩佐氏の説と大差ないと思えるが、気になるのは自閉症の告知を受けたばかりのお母さんが、その『自閉症はこうして治す』という題名と、著者の大学教授という肩書きにつられて、わらにもすがる思いになった時、最初に読みはしないか、という懸念です。そしてそれを信じて、それだけを実行していれば「自閉症は治る」と思い、子どもたちの大切な療育時期をムダに過ごしてしまうご家族がいないだろうか、という心配です。
その療法は、民間療法の例にもれず、まずは「白砂糖断ち」から始まって、養殖魚をさけて天然魚にしなさい、とか、クルミが良い、とか言いながら、やがて「万田酵素」や大豆生長因子「寿元」や、はては奇跡の水「πウォーター」などの発売元の紹介に移っていきます。このあたりから「おかげさまで自閉症がこんなに良くなりました。」というお決まりの仮名の手記をまじえて、後はきれいな水と空気をつくる「ホームオゾナイザー」だとか、イオン空調空気清浄器「ビタール」・・・などのお勧めまで、もう一気です。
この本は、私も告知を受けてから間もなく目にして、一読して非常に不快になったのを覚えています。今改めて、読み返してみて自閉症児を持った家庭の弱みににつけ込んで、しかもそれを商売のネタにしようとしている、という印象を持ったのは私だけでしょうか。
ここでは、T.のような不当表現のある本という訳ではないのですが、自閉症児を持つ親としては、十分な注意をはらって読んだ方が良いのではないか、と思われる本を何冊かあげておきます。
●『永遠の子供』(エイドリアナ・ローシャ & クリスティ・ジョルディ : 角川書店)
「自閉症の少女、エイドリ。彼女は心の世界からの使徒だった。新しい世界への旅立ちが、今、始まる。」(角川書店案内文より)
確かにこの本の第一部、自閉症を告知されてから、懸命により良い療育機関を探して、奔走する両親の姿には心を打たれるものがあります。その姿に自分自身を重ねあわせて、共感する親御さんも多いと思います。日本の武蔵野東幼稚園で自閉症児にとって良い教育が実践されていると聞くと、すぐアメリカから見学にやって来たり、ボストンでいい教育機関(言語認知開発センター)を見つけると家族で引越したりと、そのエネルギー、行動力には同じ親として感心させらるところの多い本です。
ところが、第二部にはいるあたり。日本でも話題になっているFC(ファシリティーティッド・コミュニケーション〜訓練を受けた補助者(ファシリテーター)が障害のある人の手や腕を軽く支えて、タイプや文字を書くのを援助する技法)の話になってくると、少し風向きが変わってきます。
・・・FCでコミュニケーションを続けているうちに、10歳の頃には、大学レベルの勉強がしたくなり、人体解剖学や生理学の本を読み、将来「神経科医」になりたいとタイプする。・・やがてトルコで生きていたという前世の記憶までも取り戻し、生まれる以前の子宮の中にいる頃の記憶まで綴り始める。
話がチャネリング、テレパシーというところまで進んでくると、もう自閉症の話とは別の次元の話といわざるを得ません。
それにしてもFCの話となると、どうしてか、途中から、宗教的、神秘主義的な話になってくるもが多いような気がします。
●『 はじめてのことば』(日木流奈:大和出版)
自閉症児の話ではないのですが、ドーマン法とFCにより開かずの扉を開けたという感動的な話。
脳障害を持ちながら、何もできないと思われながら、FCを知り、6歳にして、祖父の誕生日を祝い「花乱れ 春爛漫のこの佳き日 生を受けたる祖父を思はむ」とFCを使って詠む。
そして難解な数学の専門書を読み、数式を解いていく・・・
やはり、障害やコミュニケーションとしてのFCの話を通りこして、すでに新興宗教に近い分野の話に思えます。
● 『自閉症児 イアンの物語』(ラッセル・マーティン:草思社)
宗教的・神秘主義的な話は出てきませんが、FCについてはやはり疑問符、注意して読んでほしい本です。(この項追加 2001.11)
一方で、自閉症児の描くペンペン文字やコロロ文字、あるいは本来の意味でのFC、意志の疎通を得る為の手段として考えると、一概に「信じられない」とFCそのものをまるっきり否定してしまうのもどうか、という感じもしています。
その意味で、FCに対する正当な科学的評価の解説を待っているというところでしょうか。
● 『愛の奇跡』(J.ホッジズ:篠崎書林)
「自閉症から娘を救った感動の物語」
この本はまだ自閉症というものが、社会的に認知されていなかった時代(主人公アンは私と同い年ですから、もう今46歳のはず)、当時は自閉症というものに何の知識も持たなかった両親が懸命に努力して、育てあげてきた愛の物語です。
そう、感動のストーリーとして読む分にはすばらしいものがあります。ただ自閉症児を持つ親としては、「今やアンは正常で、美しい娘に成長した。」とか、「完全に治ったアン」のポートレートとか言われると、ちょっと待てよ、と思わざるを得ません。
親として、この本を絵空事だと完全に否定する気にはなれません。
いろんな親御さんと話してみると、「ある朝子どもに、オハヨウと起こされた、ふと見ると子どもはすっかり治って普通の子になっていた」という夢をみんな一度は見たことがあるという事です。勿論、私もです。
そんな親にとって、この話は夢です。あこがれです。・・・だからこそ、断腸の思いで、ここに注意すべき本として挙げさせてもらいました。夢も大事ですが、今の私たちにとってそんな奇跡にあこがれるよりも、日々の地道な努力が必要だと思えたからです。
ましてこの本の、「しごき」による教育法、意識的に「ぶつ」ことで食事の習慣を教えることができ、そしてそれをきっかけにこの奇跡が始まった、という箇所には、読みこなすのに細心の注意が必要と思えます。安易にそこだけ真似して、悲惨な状態がおこらないよう願っています。
同じく、自閉症が治ったという感動の本を、要注意として、もう一冊。
● 『わが子よ、声を聞かせて』(キャサリン・モーリス:NHK出版)
「自閉症と闘った母と子」
これは、二人の子が次々と自閉症と宣告されながらも、徹底した行動療法により、ついに「自閉症の名残は見られない。自閉症を裏付ける行動はない。」(姉:アン−マリー)
「もう自閉症の診断基準には合致しない・・・健康で幸せな子供に見える。」(弟:ミシェル)というところまで、回復させてしまう、感動を呼ぶ家族の話です。
確かに、その行ってきたプログラムは納得できるものであるし、著者(母親)の自閉症に対する考察や他の治療法に対する思いも賛同できるものが多いです。
・・・・それでも、この欄にこの本を選んだのは、やはり前述の『愛の奇跡』と同様、ちょっと待てよ、という感じがしたからです。
自閉症は残念ながら、生涯にわたる障害で、だからこそ、たゆまぬ援助・療育と環境の整備に努め、すこしでも生き易い人生を、と願って努力している私達です。その重篤な障害が、いくら徹底した行動療法といえども、「自閉症の名残は見られない」ところまで、治せるものでしょうか。
いみじくも、日本語監修者(河合 洋 氏)自身があとがきの中で率直に述べているように、「主人公であるアン−マリーが、徹底した行動療法的訓練によって、言語獲得やコミュニケーション能力を完全に回復したとは、これまでの私の経験からいって、残念ながら信じられない。」
ただ、そのあたりの限界をはっきり自覚して、十分な注意をはらって読めば、この本は親としての自覚をうながし、やる気をおこさせる、読むべき価値のある本のようにも思えます。
注意すべきはこの本自体が、完全に自閉症を克服できることの実例だと安易に信じてしまうことにあると思います。
現に最近出版された、『改訂増補 自閉児指導のすべて』41Pの「ロヴァースの技法で二人の自閉の子どもの治療教育にみごと成功した母親の手記も出版されたりしています。」(山口 薫)というくだりは、この本の事を指しているのだと思いますが、そこではすでに完全な成功例の事実として引用されています。
● 『なぜかれらは天才的能力を示すのか』(ダロルド・A・トレッファート:草思社)
「サヴァン症候群の驚異」
レインマンで知られるように、自閉症にはまれに天才的な、特異な才能を示すケースがあります。ただ親としてそれに過大な期待をかけ過ぎないように、という意味でここにとりあげました。
自閉症児には、たしかに侵されていない「能力の孤島」を持つ子は多いようです。ただそれは「侵されていない」状態にすぎず、その能力が天才的といえるのは、健常児の中の天才の発現率と変わらないようにも思えます。
親として、より大事なのは、その「能力の孤島」は大事にしつつも、それよりも人の間で生きていくために、その「侵されている」ほうの、コミュニケーション分野などに働きかけていく事の方が大事だと思えます。
この本によると、早期幼児自閉症児のうち、多少ともサヴァンの徴候を示す子どもの割合は10パーセントにのぼる(14P)そうです。
我が子に、もしそんなサヴァンの才能をみつけられたら、「ラッキー」ぐらいに軽く考えましょう。その才能は「うまく将来の趣味や楽しみに役立つように育てていく」程度にしておきましょう。この本で紹介された、マスコミに登場した子どもたち、けっして幸せな生涯をおくったようにはみえません。
この本を読んだとしても、レインマン的自閉症に過度の期待をかけないようにしてください。サヴァンか生活か、どちらが大事か、十分注意を払って読んでいただきたいと思います。
自閉症にとっては、その最初の報告者、レオ・カナー博士自身がその原因を、最初は親の養育態度と素質の遺伝であるとしたことから、長く「心因論」がその中心となってきました。そしてそれに基づき治療法も子どもを親の手から取り上げる、ものであったり、親に対する精神分析療法であったりしました。
これに関してはベッテルハイムなどを代表として、過去には数々の書籍が出版されています。ただ、すでに「心因論」自身が否定され、大多数の書物が歴史的遺物となっていると思われる為、ここではとりあげないでおきます。
・・・・と、思っていたのですが、先日、書店の店頭で、新刊本に混じって置かれていた本があったので、一冊だけ指摘させていただきます。
● 『開かれた小さな扉』(バージニア・M・アクスライン)
私の持っているのは、四半世紀も前に出版された「日本リーダーズダイジェスト社:刊」のものです。今、新刊本で発行されている本の内容や出版社が同じかどうかは、読み比べていないので確認できていません。
ここでは1972年版により、引用させてもらいます。
「ある自閉児をめぐる愛の記録」と副題にあるように、本文中では自閉症という言葉は使っていないにもかかわらず、これはまぎれもなく自閉症児に対する、心因論に基づく精神分析的アプローチであるように思えます。
「情緒不安定児の真の意味での効果的な回復に必要なことは、その子供の両親の精神衛生を現実的な方法で援助することである。その意味で本書は、両親による正しい臨床上の指導が、情緒不安定児にとって最高の治療であることが多いとした、従来の通説をくつがえす物語である。」(序文:レナード・カーマイケル)
はやい話が、情緒不安定児の両親には精神衛生上、問題があるからまかせておけない。先に両親の治療をすべきだ。と、いう事でしょうか。
「これは精神療法によって、自己を捜し求める一人の子供の物語である。」
「彼の内部に、太陽と雲に作用される影のごとく、時に応じて広がったり、縮んだりする才能と英知のあることを発見して、私たちはかたずをのむ。」(11P)
つまり、彼の内部には救いを求める本来の彼がおり、両親やその他の抑圧から開放された時、彼の心の扉が開かれる、という所でしょうか。
その手法は「非指示的遊戯療法」であり、子どもの自発性を待って、その行動の背後にある心の動きをとらえ、それをくみとっていく、というアプローチです。
私はここまで、自閉症児への個々の療育方法にはできるだけ触れないできたつもりです。それぞれのアプローチにはそれぞれの主張があり、それをとりあげることは、ここでの本意ではなかったからです。
ただ、最後に、現在ではこの「非指示的遊戯療法」は自閉症児にとって効果がない、向いていないというのが定説になってきていると言わせて下さい。それどころか、この「非指示的遊戯療法」や「全面受容」の名の元、全てが許され、何をしてもよい、と、自発性のおもむくままという名分で、ただ放っておかれたため、悲惨な状態におちいったのではないか、と思われる年長の自閉症者の方もいらっしゃいます。当時は残念ながら、こういった療法しかなかったのかもしれません。
その意味で、この本ははっきり歴史的古文と認識して読んで欲しい、と願う次第です。
現在、マスコミにおいては、書籍以外にもいろいろなジャンルで情報が流されています。自閉症関係においても、有名なM.U嬢の「私、昔自閉症だったの」発言以来、さまざまな問題表現があると思われます。
マルティメディアとなった世の中、これからは、活字以外にも注意をはらっていかなければならない時代になってきていると思います。
その中で、まず私たちが手本としたいような自閉症協会愛知県支部の迅速な対応を紹介させていただきます。
『 WOWOWに要望書
衛星放送のWOWOWが出版している番組ガイド3月号の中に、ハリウッド映画「精神分析医J 閉ざされた記憶」の紹介記事があり、そこに「両親が惨殺されるを目撃したティム。そのショックから自閉症になった彼は・・・」という表現がありました。この映画は日本では未公開ですが、アメリカではヒットした作品です。単なる翻訳のミスなのか、映画自体に問題があるのか分かりません。
SHARE編集部では、放映(3月22日)の際に誤解を招かない十分な配慮をしていただくよう、2月27日付けでWOWOWに要望書を出しました。』(SHARE4号 1997春号)
『 WOWOWからお返事
WOWOWの番組ガイド3月号で、3月22日放映のアメリカ映画「精神分析医J−閉ざされた記憶の扉」の紹介記事に自閉症についての誤った記述があり、SHARE編集室がWOWOWに配慮をお願いしたことを、SHARE4号でご紹介しました。その後、WOWOWから「調査の結果、番組ガイドの内容に誤りがあることが分かりました。放映の際にお断りを出すとともに、番組ガイドの5月号で訂正を出します」という内容の丁寧なお返事をいただきました。当日の放映を確かめると「自閉症は脳の中枢神経の機能障害によって起きる発達障害だといわれています。この映画に出てくる自閉症の症例はフィクションです」という内容の説明があり、番組ガイドに事実誤認があったことも謝罪していました。実に誠意ある対応で、感謝を込めてお礼状をだしました。』(SHARE5号 1997年夏号)
(SHAREは日本自閉症協会愛知県支部の幼児学齢部のニュースレターです。)
これで、私の「親の目から見た自閉症に対する問題書籍」のレポートを終わります。
なお文中の引用箇所につきましては、レポートの性質上、当然ながら全て無断転載です。(SHARE編集部さんだけには許可をいただきました。)
従いまして、このレポートは、自閉症の問題表現を考えるための討議以外には使用しないで下さい。
また、このレポートに関する文責につきましては、全てトチタロ、個人にあります。
平成10年9月6日