公開展示室(私設・予約制)オープン
《岡崎哲夫記念》
森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 / 虎頭要塞平和祈念資料館
すでに報道でもご承知のとおり、このたび公開型の資料展示室を整備しました。(予約制ですのであらかじめご連絡を頂く必要があります。)
詳しくは下記のリーフレットと新聞記事をダウンロードしてご覧下さい。
新聞各社記事(7枚)PDF
毎日新聞 全国版記事 PDF
戦後初、世界史上最大の食品毒物汚染事件
1955年に西日本を中心に発生した森永ヒ素ミルク中毒事件では、131人の赤ちゃんが死亡し、12,159名の被害者を生み出しました(※1)。戦後初の公害事件であり、世界史上最悪といわれる食品公害事件です。
痛みと教訓が全く継承されていない森永事件
ところが、森永事件の歴史的事実の継承活動は、この30年あまり、積極的に行われて来ませんでした。加えて、森永事件では、被害者救済も決して十分とは言えず、未だに重い後遺症に苦しみ続ける被害者が多数存在しています。社会が事件を過去のものとして忘れようとも、公害の後遺症の苦しみ、そして、被害者と遺族の怒りは、、被害者家族の体と心から離れることはありません。ましてや、森永事件のように、原因企業と国が結託し、20年近くにわたって被害者家族を圧殺した、日本の産業公害の原点ともいうべき稀有な悪徳性においてはなおさらです。
被害者が、森永乳業鰍ノ感謝?
意図的に流される虚飾に満ちた「美談」
ところが、かつて2000年前後から数年間にわたって、森永事件の被害者は、 「今ではとても幸せな生活」 をしており、「加害企業に感謝までしている」 かのような驚くべき作為的な言説がメディアや出版界を通じて怒涛のように流されました。森永事件だけは“他の公害と比べて例外的なハッピーエンドを迎えている”かのようなストーリーが演出されたのです。要するに、「金さえもらえば、公害被害者は幸せになれる。だからカネを払ってくれる加害企業には感謝すべだ」、という論調です。
現実は全く異なります。その言説の中には、事実関係に関してさえ、多くの明白な嘘がちりばめられています。逆に嘘のような美談を配置することで、出来すぎのドラマのような印象を国民に与えるという高等な心理テクニックです。「ウソをつくなら大きなウソをつけ」─。ナチスやスターリンなどが愛好した全体主義の手法に似ています。
当然、当時被害者救済運動を支援した市民は、このような宣伝を行う名だたる媒体に抗議の書簡を送りました。ところが、その誤りを指摘する市民に対し、媒体はその修正をいまだにしようとしません。しまいには、「森永事件の被害者でよかった」などという発言を「被害者代表の声」であるかのような番組まで登場しました。(その局は、他の番組でも「やらせ」で指弾されています。) いったい、どのような力が働いているのでしょうか? (この番組については 「ポスター」のp21 をご参照)
被害者家族個人にとっては、本当に怒りが抑えきれない、いかがわしい、おぞましい宣伝工作(政治的プロパガンダ)が事件後、数十年ぶりに再開されているのです。ウイキペディアの内容もごたぶんに漏れず、金と時間に不自由のない勢力により計画的に改ざんされ続けています。森永乳業がかつて展開した欺瞞的世論工作とほぼ同様の内容が、多くの被害者の現実から遊離して、しかも被害当事者「団体」の上層部も参加して展開されている現状には、驚くほかありません。
ところで、しばしば、公害被害者救済運動において真実を語る人々は、国や企業から支給される金銭などの甘い汁にたかりたがるところの「革新」「民主」などを表向き掲げる政党政派によって乗っ取られ、政治謀略によって追放されることが指摘されています。旧来型の冷戦構造を背景としてずるずる続いてきた我が国の腐敗した劇場型政治の中で党利党略の餌食にされ、公害被害者の現実の声は捻じ曲げられ、公害事件の真の教訓は継承されていません。
公害事件の教訓とは?
しかし、考えてみてください。つまり、半世紀たっても、このような異様な世論操作の動きが継続しているところには一体何があるのかと…。産業公害への真の反省が少しでもあるなら、このような言説がそもそも数十年も続くことがあり得るのかということを…。ここにこそ、公害事件の真の闇が存在しているのではないでしょうか。
同時に、このいかがわしい現実にこそ、第二の公害の危機が潜んでいるのではないかと危惧します。それは、数々の歴史的教訓が示すところです。そして実際に日本では、食の安全をめぐる不祥事はあとを絶たず、食品行政への信頼は揺らいでいます。お隣の中国でもメラミン粉乳中毒事件など類似事件も発生しています。日本の公害問題の経験と教訓は、国の内外でほとんど継承されていないようです。「伝えることをサボった」というより、むしろ、何らかの意図による「伝えない努力」があるのかもしれません。森永事件の現在は、「歴史に学ばずそれを教訓とせず、同じ過ちを形を変えて何度も繰り返す人間社会の愚かさ」を示す典型事例になりかけているところに、被害者家族の一人として深い哀しみを感じます。また、歴史の正しい教訓を残し、被害者救済の現状問題点を指摘するジャーナリスト・市民・研究者の努力に対して被害者団体の上層部が個人攻撃で対応し、逆に、市民の側から名誉毀損で提訴され被告・被害者団体が裁判所で有罪判決まで受けるに至っていることは、日本社会の病んだ政治情況をも象徴する異様な事例といえるでしょう。
食品汚染を未だに「公害」とは認めない国
|
山陽新聞2012年10月14日付 岡山県立記録資料館・館長/定兼学氏による論稿 |
食品公害を日本政府はいまだに正式には「公害」とは認定していません。政府はかつて、地域に限定された大気や水質汚染を公害と認定しただけで、全国規模の超広範囲な大規模食品毒物汚染に関しては、公害防止行政の範疇外に置かれ続けているという日本の現実は、ほとんどの国民には知られていない深刻で愚かしく、先進国というには余りに恥ずかしい現実です。食の偽装や事件が延々と続く一因も、公的セクターの食に関する関心の低さ、被害者の苦しみへの無頓着さにあるといえるでしょう。
さらに、森永事件の処理とその後の不可解な問題の継続という事実に対しても、国・厚生労働省はあいも変わらず無関心を決め込み、是正の処置をサボり続け、責任を果たし切っていない現状を見るとき、我が国でも今後、形を変えた大規模な事件が起こる可能性が十分にありえることを憂慮します。発生したあとに騒ぐことは誰にでもできることですが、未然に防止する力がこの国に成長しなければ、事件の犠牲者は浮かばれません。
当資料館は、当時の被害者団体「森永ミルク中毒のこどもを守る会」の全国本部事務局が存在した場所です。当館には被害者救済運動のもっとも過酷で重要な時期の一次資料30万ページ以上が、半世紀以上にわたり厳重に保管されています。
なぜ食をめぐる事件が多いのか?
昨今多発する食の安全を脅かす事件の原点が網羅されているともいえるのがこの事件です。その教訓を後世に伝えることは喫緊の課題であると考え、コンパクトな展示室を整備しました。食品公害事件の資料館としてはおそらく全国初のものになります。目をそむけたくなるような事実、今では想像し難いような公的セクターの汚点も敢えて開示してあります。再度の過ちは、社会が過去の過ちの本質的部分と、その犠牲者の痛みへの共感を失ったとき、同じ形ではなく、形と場所を変えて必ず起こります。その凄惨な事実を見据えてたじろがない精神が日本人の中に成長しなければ、この国の民主主義も、言論も、或いは安全な社会システムも、これ以上成長しないとの危機感から、敢えて公開に踏み切りました。
自宅内の私設展示室のため、参観は予約制としていますが、市民の皆様と共に食の安全を考えていける場になれば幸いです。(2010.1)
←資料館リーフレット(JPEG)
→リーフレットpdf版
(※1 1956年2月時点厚生省発表による確認被害者数のみ。 死亡者は現在、1千人を超えている。2013年に当資料館からの公開質問状に答えて、現・厚生労働省が発表した確認被害者の総死亡者数は1,170名─平成25年-2013年-現在 )
トップページへ戻る 資料館一時資料保管庫の解説へ
|