日本公害史上、前例ない不祥事が暴かれる… 被害者は死に続けても、未だこの国からは消えない産業公害のDNA
「癒着と内部抗争によって、救われなければならない被害者が救われていない。その救済を求めているのが本訴である。」 (原告弁護団控訴理由書より) ------------------------------------------- 控訴審。広島高裁が控訴棄却。2013.12.26 控訴審判決が12月26日、13時10分、広島高裁岡山支部201号法廷(岡山地裁内)で言い渡された。 判決文の要点は、“原審(一審)では三者会談確認書の法的拘束力が主な争点になっているわけではないので、同じ裁判で継続的に争うのは難しいです” との極めて訴訟技術的な部分での回答である。つまり高裁は言外に「この件に関してはまだ決着がついてませんね。原告弁護団さん、いいところに目をつけられましたね~。ただ、これは新たに別の裁判を提起して争って下さいね」とおっしゃっている様な内容だ。 厳密には、原審は三者会談合意に当然法的拘束力があるという前提に立っていたと思われるが、裁判所は「公害被害者なんていうものの扱いは勤労者の生活の6割以下で構わん」とした不当な「合意」を “(ぐちゃぐちゃわけのわからん反論が被告からいっぱい出てくるからか?)あ~めんどくせえ、とりあえずこんなシロモノには法的拘束力がない”、ってことにしとこう」という気分からか、「公害被害者は人並みの生活の半分以下で構わん」には「法的拘束力がない」と書いた。これは「ぬか喜びする」被告にとって実は、「諸刃の剣」となってしまった。およそ不正義なものとの争いにおいて、被告にとって吉報となるのは、原告が諦めてしまった時だけだ。それに、今回、広島高裁が、原点となる「三者会談合意」の法的拘束力についての争いに関しては、敢えて「別の裁判でお願いします」、とおっしゃっているのなら、それはそれで原告も理解するだろう。当然、国と正式に交わした合意に沿った解決が図られる可能性を期待させる言い回しだ。 だが、今この時も、無法な加害企業に深く傷つけられた重症被害者に残されたわずかな命の時間は、粗末に扱われている。その加害企業は未だに事件の真相と不正の歴史を歪曲する努力を続けている。死者を冒涜し、人間の尊厳を毀損する現在進行形の策謀のなかで本件が争われていることを司法は忘れてはならない。いや被害者の親である80歳を超えた高齢の原告後見人の命は現実に日々削られているのだ。 ************************************ 第1回公判 11/7 開催さる 2013.11.7 (広島高裁岡山支部 場所:岡山地裁内) 原告の請求権拡張に関する広島高裁の判断は、 12月26日 13:10 岡山地裁内にて言い渡されることが決定した。傍聴席には体の不自由な重症の被害者本人とその家族、支援の市民も座り、訴訟のゆくえを見守っていた。 ------------------------------------ 榎原訴訟の控訴審で新たに結成された弁護団(生田暉雄・安藤誠基 両弁護士 参考1. 2.YouTube)は、さる10月25日、広島高裁岡山支部に請求範囲の拡張を宣言する書類を提出し、28日には控訴理由書を提出した。 そこでは、世界史上最大の食品公害である森永ヒ素ミルク中毒事件事件の全体像、特に被害者抹殺へのあくなき野望が今日に至るまで継続されている所のこの58年間の経過を総括的に把握した上で、原審判示の非人道性と余りに稚拙な論理的矛盾点を鋭く衝いている。 人並みの48%なのに、それさえダマして60%だと嘘ついても、60%自体が法的拘束力ないから大丈夫? 「救済」機関、被害者団体が公言する言葉か? 被告は、被害者が30歳になる頃に、被害者団体内部への民主集中制的独裁支配の確立とセットでごり押しされた重症者への
そして、原審判決は、その不透明で自由な言論を認めない組織実態(意見が違う被害者は総会に出席させないとメディアに公言するなど)や、検討プロセスの妥当性を精査せず思考停止したまま被告に迎合し、被告らの腐敗した癒着密室政治を優先させる判決文を書いてしまった。ところが書いた判決文が「60%の合意には法的拘束力はない」だ。だから60%さえも請求する権利はない、などという言語明瞭意味不明珍妙なものである。(だから更に下の48%でも我慢しなさい??~それだけはありえない) しかも現状の57歳の重症者への支給の実態は、30歳の勤労者の48%に過ぎないのに、被告が名誉毀損で市民から告訴された能瀬裁判で被告は、現状は勤労者の「60%を支払っている」と裁判所への公文書で説明した。そして原告である能瀬英太郎氏が官報を精査し、追跡調査すると、その嘘が「バレた」。(なお能瀬裁判では被告「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が敗訴し、被告の機関紙内容のデマの羅列と被告の不法行為が確定した) 障害者・公害被害者は人並み以下でよいという差別意識丸出しの被告と原審判示 このような裁判所の公正性を侮辱するような言動までも、原審判示は見て見ぬふりをした。卑屈で、やる気のない、不誠実で、被害者の人権を省みない判決である。ちなみに、一審公判の最中には、デタラメな厚生労働省職員が大量の被害者名簿を省内から持ち出し、地下鉄電車内でそれを読み捨ての週刊誌並みに取り扱って紛失するという前代未聞の大不祥事を発生させた。 以上のことから明白なのは、被告4者と原審判示は、公害被害者のみならず障害者への差別意識を大前提としており、“公害被害者は人並み以下の保証で十分、何か文句があるの?”、という下卑た意識丸出しである。金と特権的な地位に安住し・おぼれ、傷つけられた者の痛みを忘れ、産業公害への反省が大きく欠落した人間集団の成れの果ての姿である。このような集団の存在を許す社会が福島の事故を招いたのであり、更に今後もっと悲惨な事態を招くかもしれないと、ただ怖れるばかりである。 原審の誤認が、不法行為を扇動する効果 原審判決は、1986年頃からの60%合意が、救済の合意のスタートであるかのような笑止な誤認を前提に、しかも、その後のほぼ全プロセスを、法的には拘束力がなく、だが、学級会の申し送り事項のような内容でしかないのに被害者はあたかもソレに従うしかないかのような結論を導き出し、結果的に不法行為を行うものを狂喜させ、不法行為を煽る結果になっている。(自己責任など一切ないのに、要するに…“被害者は重症になるほどいいように弄ばれても仕方ないよね” “重症者は弄ばれても、それって自己責任だよね”…、というような下劣なもので、杜撰を通り越して、もやはヒトの心不在の判決文であり、こんな判決は人間社会には不要だ。 ほとんどの人が知らない日本の裁判所の深刻な問題点については、今回の原告弁護団の生田弁護士の講演がわかりやすい 1.YouTube 2.YouTube 3.4. ) 30年以上にわたる腐敗した癒着が徹底公開された。 そして、その「法的拘束力など微塵もないが、ソレに被害者は黙って従うべきである」とする「合議の積み重ね」が、腐敗と不正にまみれた陰湿ないじめっ子が陰謀を画策した上で練り上げた出来レースの結果であり、同時に、原点となった法的拘束力をもつ国・森永・被害者との正常な合意契約を骨抜きにするために企業と野合した勢力が仕組んだ長年月にわたる不法行為の連続であることは、今回提出された膨大な証拠書類から明白となった。(およそ人間はここまで腐り切れるのか?、その極致を示すような、恥しらずな所業のオンパレードが大部のレポート及び詳細年表という形の公文書で公開された。) 控訴理由書は、団体が合意したと主張する「既成事実」なるものは、公正の正義の観点から無効であると指弾している。(企業犯罪と同じレベルで) そして、逆に裁判所がいう法的拘束力のあるものはどこにあるか、と探したら、被告も自らの権威付けの為だけに、しきりに持ち出して憚らない「三者会談合意」の、その合意で決定した「国家公務員の平均所得水準」でしょ、ということだ。あまりにシンプル、もはや公序良俗、一般常識のレベルの話に戻ったという事である。 いわば、一審での「60%論争」は、被告と裁判所の出方を探る、威力偵察の役割を図らずも持ってしまった。一審の裁判官の意識するかしないかに関わりなく、だ。これからようやく、本戦が始まる。 弁護団は、救済事業の継続性を正当になぞっており、その原点をたぐりよせている。これがスジの通った法理だ。しかも、この原告弁護団の提起した見事な法理は、被告主張に全面的に擦り寄った形でだされた原審判示の上に立脚しているところが、なんとも被告にとっても原審判決にとっても皮肉でブザマな有様になっている。弁護団は、そのことをわかった上で、熟慮の上に、「確認事項」と「検討者団の構成」との関係をも、しっかり押さえている。 特に、今回の弁護団の筆致には、“裁判所の誤った権威主義は一切認めない”という断固たる姿勢が書面の中に随所に感じられる。ここは重要な部分だ。 それにしても控訴理由書の7pで、「癒着と内部抗争によって、救われなければならない被害者が救われていない。その救済を求めているのが本訴である。」の2行に、この裁判の正義が象徴されている。 6月26日榎原訴訟判決 原告請求棄却の不当判決 2013.6.26 「ちゃんとした審理は控訴審以降でやってね」という事なかれ主義の判決文 証人尋問さえ許可しなかった裁判官。自分の家族が重篤な被害を背負わされでもしない限り、結局のところ理解できないか? 2013年6月26日、榎原訴訟で、原告の請求棄却との不当判決が言い渡された。原告は控訴する方針。 しかし、この判決自体が「悪しき置き土産」である。 特に今次判決文は、原告の主張を審理した形跡さえ見当たらないという根本的欠陥を有しており、これは一審の裁判官からの、控訴審判事へのメッセージだと受け取めるべきなのだろうか。
裁判官も敢えて被害者家族の意見を耳にすると良心の痛みから被告の誰かを有罪にせざるをえなくなる。審理中からして、被害者の訴えに耳を傾けている素振りさえ見られなかった。森永ヒ素ミルク中毒事件の事件史の全体像なぞ知らぬことにして、はじめから「判断回避」みたいな判決を書くことに決めていたのかもしれない。 こういうことだから原発が爆発しても最大の加害者である東電が涼しい顔をしてノウノウと世渡りできるような時代になってしまっているのであるが…。 いずれにしても、原告の主張をほとんど審理した形跡がないというのは、一審判決そのものの無効性が明白であり 、控訴審からが本番といったところだろう。 原告側関係者も、裁判官のあまりにやる気の無い態度からして、勝訴などはじめから期待していなかったところが 、なんとも今風である。 不思議なことに、被告側代理人は法廷に出席していなかった。判決日前日に能瀬訴訟での被告:被害者団体の有罪が決定したので意気消沈していたのか?そんな訳がない。ならば残るは、裁判官の態度をみていれば、被告が負けるわけはないと考え、交通費を節約したか? たぶん後者だろう。いずれにしても被告の態度は、裁判所を頭から舐め、それ以上に、原告である被害者とその家族の尊厳を侮辱して憚らない態度である。 【追記】 救済事業監視塔掲示板には開廷時に目に付いたという裁判官の態度への憤りの声も書き込まれている。個人攻撃とは思われない。むしろ公人がフォーマルな場で気遣うべき良識(常識)の問題だと思われるので転載する。 No.1265 榎原訴訟の「判決文」…これは、判決文ではないですね。 投稿者:ホワイト 2013年6月29日(土) 11:10 榎原さん 判決、残念でしたね。しかし公開された判決文、拝読しました。 これはヒドイ内容! 裁判所の見解が述べてある「第3 当裁判所の判断」の中身は被告の主張の羅列で、原告の主張が全く検討されていませんね。検討の痕跡すらない。 こんなのは判決文とはいえません。 裁判官が、審理と判断から逃亡した事を示す証拠文書のシロモノですよ。こういう裁判官を選挙で落とせるのに、日本は裁判官と教育委員長を民主主義で選ぶことに無関心な国だから、司法も教育も一向によくならないでしょうね。 今回の判決文は、ほぼ無内容。ある意味、裁判官が「私最初から審理するつもりなかったんです。他の裁判官がやってください」と露骨に態度を表明したようなもんですね。 公判でも、傍聴席からは裁判官の声が全く聞き取れないほど小声でしゃべる方らしいですからね。それ、傍聴者に失礼でしょう。今後はマイク使って下さいよ、と申し上げたいですね。 No.1270 Re:「見ざる、聞かざる、言わざる」 投稿者:ホワイト 2013年7月2日(火) 15:13 ぽんたさん 同感です。 組織というもの、説明責任を果たさないでウヤムヤにしてたほうが断然ヤリ得!っていう姿勢を補完する判決ですね。 「無難な理屈」的にはありがちな判決だが、民主主義の精神は蝕んでいく判決内容ですね。まあ、ひっくり返せば済むことですが。 No.1271 この高齢化時代に、お年寄りに全く優しくない裁判官でしたね。 投稿者:よしこ 2013年7月2日(火) 23:43 ホワイトさん 私は、少しだけ今回の榎原さんの裁判を傍聴しました。 裁判官を見て思いました。なんて、残酷な人だろうって。 私が想像するに、こういうことです。榎原さんは、多分、お耳が遠いのか、大きな補聴器を耳にあてられて、一生懸命裁判官の声をきこうとされてましたね。でも裁判官の声は、傍聴席にいた私にも全く聞こえて来ませんで、一体なにをしゃべっているのか、さっぱりわかりませんでした。それなのに、裁判官はマイクも使わず、まるで蚊のなくような小さな声で終始、公判を進めていました。 この方、裁判官の前に、人として、耳や目の遠い高齢者の方の立場を想像する能力がないとすぐにわかり、とっても嫌なモノを見てしまった気になりました。本気で今の裁判所の常識を疑いました。だって、横に2人もいる女性の裁判官?もそれに気がつかないのでしょうか? ホワイトさんのご指摘をみても、改善されてないようですし。まったく、優しさにかけていて、少し腹がたちましたよ。裁判官の給料も国民の税金でしょう。なにを勝手に自分流でやってるんでしょうか? No.1272 Re:この高齢化時代に、お年寄りに全く優しくない裁判官でしたね。 投稿者:ホワイト 2013年7月3日(水) 11:19 よしこさん やはりいつもそうだったんですね。ときどき勘違いする裁判官がいます。地方判事も選挙で選んだほうがいいと思うよ。いくら司法改革っていっても、原告に声が聞こえなくても構わんなんて人がボソボソやってんじゃあ、だめでしょう。 ……… -------------------------------------------------- 日本社会の透明性と正義が試される 2013.3.28
さる3月28日、第4回公判が、岡山地裁で開かれた。その場で、岡山地裁は、原告側の証人尋問申請を却下。証人尋問の何を恐れる必要があったのだろうか? そして、ちょうど1年前の6月25日からスタートし、世間の耳目を集めた今訴訟は、たった4回の公判(審理時間毎回10分以下)でのスピード結審となった。まるで「書類選考」のような簡素な公判の連続であった。しかも、被告側の反論は「だんまり戦術」かと見紛うほど量的に僅少で、質的にはほとんど見るべきものなし。事実上、被告側が「論争を放棄した状態」で結審した。おまけに被告:森永乳業は、なにを勘違いしたのか、他の被告を代弁するかのように、「時効」を主張し始める始末。その直後、被告の一部である厚生労働省が異常な不祥事を惹起。さらに左上掲載の事案が市民からの告発で寄せられた。
一方、法廷の被告席では本来、利害相反関係の要素が強い被告4者代理人が「わきあいあい」(と指摘したら、少しオシャベリが減った)…。 いずれにしても、戦後史上もっとも深刻で世界史上でも未曾有の被害をもたらした食品公害事件の「終わらない、むしろ深刻化する被害の“その後“」が争われているという自覚がゼロとしか見えない、珍風景続出の訴訟である。 この、意味不明ともいえる珍事が連続する状況下での異例のスピード結審で、裁判官がどんな判決を書くか、注目に値する。なにせ、民主国家で、救済の看板を掲げている公益財団法人が、説明責任など全く果たしていないことが明々白々となっても、“そのどこが悪い”と開き直っている事へ、重症被害者が異議申し立てを行ったのだ。この事に対して、「情報公開と最低限の民主的議論と民主的意思決定、及び審査と監査」が公的機関を巻き込んで否定されている事態は果たして許されるかどうか?という素朴な問題が提起されている。 また同時に、この判決は「日本は果たして公害問題を克服しつつあるのか? 日本は、正義と民主主義はもとより、それを担保する社会諸機関の情報公開と透明性の確保が機能している社会であるのか?」というテーマで国際社会からも静かに注視されていることを、ここでご披露しておこう。日本人が無自覚になっているほどに、世界は、この問題を軽視していない。
←2013.2.20 第3回公判、岡山に被告が集結。公判に出席した厚労省職員が、直後、東京で大不祥事。なぜ厚労省職員が455名もの被害者名簿を持ち歩いていたのか? 専門ページ 2011.12.26 原告側提出の第2回準備書面で、「被害者団体自体の法的責任」が明確になった。
本文は2ページ半と非常に簡潔だが、救済基金「公益財団法人ひかり協会」の意思決定機構を支配しているのが、現被害者団体のメンバーであることが数々の証拠とともに、明瞭に証明されている。 後半の証拠説明書のサマリーを見ただけでも、被告団体の「ものいい」の自己矛盾が明白だ。 ていうか、あなた方、裁判所で涼しい顔して知らんプリしてるけど、自分の胸に手を当てたら直ぐにわかる話じゃないの? 自組織の性格そのものを素朴に考えても、こういう「しらばっくれ」って一般の被害者の知る権利や、人としての尊厳に対してものすごく失礼な行為だと思わないの? といったところだ。 2011.11.21 第2回公判、開催さる 23年間ほぼ据え置きの事実が露呈。「救済」への意欲が見えない「公益財団法人ひかり協会」の実態が公に。一方、幹部職員の長年の「厚待遇」の実態は未公開のまま…。 原告側から、さる11月13日に岡山地裁へ提出された第1回準備書面(左掲pdfファイル)から、「公益財団法人ひかり協会」が最も症状の重い一級重症者への支給を月々5万円(1983時点)という少額に抑え、さらに23年間にわたり、その少額をほぼ据え置いている、という驚くべき実態が暴露された。23年もの長期間での増加額はたったの7,642円である。行政でもためらうような冷遇・冷血の措置だ。納税者である国民が拠出している国の障害者基礎年金は当然に上昇しているから、それを受給している被害者の「手取り」は23年間では、わずかに3万円程度増えている。だが、肝心の「ひかり協会」という救済基金は、被害者のための自身の支出増額になんらの努力をしていないことが、初めて被害者自身から怒りを込めて公にされ、裁判所へその事実がシンプルに突きつけられた。 いずれにしても、こんな、被害者への飼い殺し & 黙らない被害者には数百万円にのぼる法的根拠を示さない金返せ要求(※1)で
原告側、被告釈明のウソ徹底解明を事前通告 岡山地裁202号法廷で13時30分過ぎから開催された第2回公判では、原告席には、森永ヒ素ミルク中毒事件の重症被害者である榎原鈴子さんの原告成年後見人である榎原伊織氏(81)と、大石弁護士の2人が着席した。 一方、被告人席には、前回同様、被告側代理人など7名もの人間があいもかわらず2列になって着席し、引き続き窮屈そうであった。 公判は原告側の第1回準備書面の提出を確認する簡単なものであったが、大石弁護士は、第二弾の準備書面を提出すると通告し、「(被害者に対する生活手当ての支給)基準が(能瀬裁判や被告準備書面等で)明らかになったわけだが、ひかり協会の会報などでは、ほとんど説明がなされてこなかったことなどを立証したい」と発言した。説明責任がなされていない金銭支給基準とは、奇妙奇天烈な世界の話である。支給の多寡以上に、体質の異常性が明らかにされていくだろう。今後、提出される第二弾の準備書面にも注目があつまりそうだ。 「ウチ関係ない」という代理人が幹事って感じ? ちなみに、どうでもいいようなことではあるが、次回公判の日程調整で、被告側の代理人複数の日程調整を、「被害者団体の代理人」が「とりまとめる」かのような様子で、裁判長に報告している姿は、正直、こっけいだった。「被害者団体の代理人」が、他の被告代理人の「幹事」みたいに見えるのは、目の錯覚か? それでいて、被害者団体の代理人は、裁判官に、「なんで被害者団体が訴えられるのか法的根拠を示してほしい」と毎回訴えている。 それほど部外者であると主張したいのなら、他の被告代理人たちの幹事役と見まがうような言動・光景を露骨に見せないでほしいものだ。 本能的な仲間意識からなのか、なんなのか…。法廷外でも、なんとなく団子になって群れているように見える姿は、一市民にはかなり「?」(はてな)な印象を与えるものだった。 岡山地裁2012年9月5日、初公判 被告席に7名の代理人関係者が並ぶ珍風景 岡山地裁202号法廷で13時30分過ぎから開催された初公判で、原告席には、榎原鈴子さんの原告成年後見人である榎原伊織氏(81)と大石弁護士の2人が着席した。 一方、被告人席には、被告側代理人など7名もの人間が2列になって着席し、かなり窮屈そうであった。被告が4者にものぼるから仕方ないのだろうが、今後もずっとこの窮屈なスペースに7人でいくのだろうか? 傍聴者は少なくとも12名にのぼった。公判は、この間、被告4者から提出された答弁書の確認や、次の公判日程を決める簡単な内容であったが、唯一発言を求めたのが、被害者団体の代理人。「釈明のような形になりますが、(被害者団体に賠償を)請求される根拠を明らかにしてほしい」旨の発言を行った。被害者団体が生活手当ての支給基準を公表したからこういう事態になっているのだが…。隠されてきた問題が明るみになっているのに、“私らお金払う団体じゃないから一体なんの関係があるの?”って言いたのだろう。このヒトゴト感覚、法理云々以前にどうよ、である。 ─「顔の使い分け」というパロディが答弁書で明るみに この裁判の話は単純である。被告のなかでも特に「公益財団法人ひかり協会」の答弁書は、長々と議論プロセスみたいなものを書き連ねているが、基金と被害者団体を兼任する人間が、顔の使い分けをし、金銭支給基準に関する市民や被害者の疑問に対して「被害者団体として」しぶしぶ答えた内容が「A」のはずなのに、別の顔の「公益財団法人ひかり協会としては」、今度は「Aではなく、AでもありBでもあり、Cでもあり」と答える二面的使い分けをしていることが明るみになっただけのことである。「公益財団法人ひかり協会」が、みずから「A」ではないといってしまったから、今度はどっちがウソを言っているのか、それとも両方がウソをいっているのか、もっと深刻な問題に発展する可能性もある。いずれにしても、被害者団体は責任を免れ得ないだろう。 こんな意味不明の煙幕戦術を使い続けるから、「4者が渾然一体となって被害者を裏切り、生かさず殺さずの飼い殺し状態で管理し、おかしいと問う言論さえ封殺してきた」と、原告である被害者家族が憤っているのだ。 ─「Aだ」と言ったハナから、「Aではない、AやBやCやDやEや、色々だ」と言ったり…。なんだそれ? 繰り返しになるが、二つの肩書きをもつ同じ人間が、表向き被害者の仲間であるはずの「被害者団体」の肩書きで金銭支給基準は「A」だと法廷で断言したハナから、もう一つの肩書きでは「AじゃないよBだよ色々だよ」と法廷で主張するのだから、原告でなくとも、被害者は混乱し、取り付くシマがなくなるだろう。「基金側」の顔では、一見なんだか難しい決定プロセスの説明をしてみせ、混沌とした議論から「収斂」されたなどと言っているが、能瀬裁判でいったことが、予期もせず追跡調査されたから、別の顔で、「いやいや、あれは被害者団体の顔でいったことでして…」と言い訳しているだけにしか見えない。こんなチャップリン風のパロディが世間で通用すれば、法治・契約国家の体裁などどこかに吹き飛び、今後間違いなくこのダブルスタンダード方式のコピーが始まるだろう。説明責任など世の中には不要となり、各種被害保障内容なども、なんだかわからない理由で決まったことにされて、是正のための基準などなくなる。詳細な契約書に基づいて、保険会社にでも代行してもらったほうがよっぽどマシってことになりかねない。自治体行政さえこういったやり方が採用できることになる。情報公開や透明性の保障とは正反対の世界である。企業犯罪の被害者をここまでおちょくって涼しい顔をしている光景、被害者団体の代理人が、被害者の憤りをまったく受け止めようとしていない姿は、「異様」を通り越している。 次回公判は11月21日(水)13:30から。 裁判は、傍聴規則さえ守れば、誰でも傍聴ができる。 ■岡山地裁提訴 & 提訴記者会見 2012年6月25日 「ひかり協会は内心では被害者が死亡するのを待ち望んでいるのではないか、とさえ邪推したくなります…」81歳父親が胸中激白 原告・榎原鈴子氏(59)の訴状 PDF:548KB 原告後見人・榎原伊織氏(81)談話 PDF: 97KB 「公益財団法人ひかり協会」(「救済」基金)職員による被害者への差別暴言、侮辱的態度、金銭支給基準の不透明性と情報操作による過少支給、批判意見への黙殺と言論弾圧。自浄能力を欠いた形で救済資金の中から多額の給与を取る専従者集団…。このような理不尽に対し、倉敷市の重症被害者本人(榎原鈴子氏)が成年後見人を立て、上掲の4者を岡山地裁に告発した。 2千万円超の賠償を被告4団体へ請求
記者会見で原告、 “他の被害者も勇気をもって声を上げるように” と呼びかける。 “解決済みの公害事件”のイメージ流布の裏で、巨大な不正が26年間にわたり進行していた…。 森永事件に関しては、2000年前後から、「加害企業に感謝する被害者の美談」という架空のストーリーが、いくつもの媒体を通じて怒涛のように演出された。一方それと裏腹に、同時進行していた被害者団体内部での醜悪なる言論弾圧は、公知の事実に関わらず、政治的な力で長年月にわたり事実上覆い隠されてきた。 物言えない状態に置かれている重症被害者のわずかな親兄弟は、被害者本人に対する、生活保護以下での「生かさず殺さず」的支配に憤りを強めて、情報公開を求めてきた。だが被告の一部は、公的性格をもつにも関わらず、それらに誠実に応じないばかりか、言論を認めない抑圧で応えてきた。公的セクターも見て見ぬふりを続けた。 ところが、最近、「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」を名誉毀損で告訴した岡山の一市民・能瀬英太郎氏の裁判で、はからずも、重大な事実(以下の囲み記事部分)が発覚した。 「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」が行った情報操作に基づく、重症被害者への金銭支給基準のウソ=莫大な額にのぼる「過少支給」が、具体的データを伴って解明・公表されたのである。 原告は、以下の被告4者がグルになって被害者を騙してきたとして抗議し、裁判において、 被告 被害者団体 「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」 被告 救済基金 「公益財団法人 ひかり協会」 被告 森永乳業株式会社 被告 国 (以上、訴状に記載の順序による) らに対して、連帯責任として、不足分と慰謝料を含めた損害賠償(2,149万円超)を請求する。民法709条の不法行為にも該当するとしており、国もこの事実を知りながら、なんらの指導・勧告・是正もしなかったとして、その責任が厳しく追及されることになる。被告「基金」には、政府省庁職員の天下りもおこなわれていた。) これは同時に、「公害被害者救済」という美名の裏で、戦後一貫して社会的弱者にたかってきた各種勢力の欺瞞を含めた、戦後社会の闇をあぶりだす重大な告発となるだろう、との見方もある。 集団訴訟も視野。被害者家族の参加をよびかける原告。 原告は、ホームページで、「今後担当弁護士先生と各種協議が可能ならば、集団訴訟に向け希望され参加したいと言う方に対し5名以下で先着希望者とも協議の上合意が整えばその方向も考えてみたいと思っています。」と訴訟への参加を呼びかけている。 報道クリップ(一部) ↓ http://cip.rdy.jp/2012/07/post-290.html
【提訴にあたっての談話 ─原告成年後見人・榎原伊織氏】 2012年6月18日 森永ヒ素ミルク中毒事件の重症被害者への不当な扱いに抗議する。 損害賠償請求に関する裁判提起について
裁判を提起するにいたった経緯 私の長女は今から57年前に発生した、森永ヒ素ミルク中毒事件により重大なる被害をうけました。私の妻は次女の出産後肺浸潤に罹り、病院に入院しておりました。それで生まれて間なしの次女は妻とは引き離して森永ミルクで育てていました。当時2歳だった長女は乳離れをしていましたが、よく次女のミルクを取って飲んでいました。1955年6月頃から発熱、下痢、夜泣きが続きましたが、私はタチの悪い流行りのハシカに罹った位に思い、貧乏のため医者にもいかず、そのうち病状もおさまったように思っていました。その年の8月24日に、森永ミルクによる「ヒ素中毒」の報道があったそうですが、私は毎日仕事に追われ、新聞もラジオもなくその情報を知らなかったのです。 1969年10月「14年目の訪問」の発表を期に、むかし子供に森永ミルクを飲ましていたことを思い出したのです。長女はすでに精神障害を発症していたので、検診を受けた結果、森永ミルクによる後遺症と診断されました。そのため高校1年で中途退学し、以後入退院を繰り返しています。なにしろ自殺願望が強く何度も自殺未遂をやり、退院すると家中の刃物類を目につかない場所に隠したりしたこともあります。中学生までは成績もよく英語弁論大会に出たこともあり、親子とも大学進学に強い希望を抱いていました。退学後、せめて通信教育でもと思い、私は入学案内などをとりよせました。でも悲しいかな、本人は一つのことを20分とは続けられません。しかし、そのことはすぐ忘れて又しても、進学熱を高ぶらせ、今まで何十回となくそれを繰り返しています。58歳になっても「大学へ行く」気持ちは頭から離れず、学校や親を困らせます。現在は自宅療養をしながら家族が車で病院へ連れて行っていますが、とても仕事ができる状態ではありません。 長女は国から障害者年金2級を受給していましたが、1973年設立されたひかり協会から暫定措置として調整手当(現在の生活手当と同じ、一種の年金)のBランク月額3万5千円が支給されるようになりました。調整手当は翌年に4万5千円に増額されましたが、それ以来10年間は据置かれたままで、その間増額要求が各地から寄せられていました。ひかり協会の職員給与は毎年ベース・アップされますが、被害者への手当は一向に上昇しません。恒久対策案の年金の項目には「国家公務員の一般行政職並みの給与を基準する」とありながら、それは守られなかったのです。 被害者が30歳になった時に、ようやく調整手当の改正が行われましたがそれが「30歳代を迎えての被害者救済事業の基本的確認事項」であります。結果はむしろ改悪で、金額は障害者年金と合わせると1級2級とも同額となりました。被害者の親たちの要求は肩透かしを食い、「資料3」にあるように「算定方式とスライド方式」にまどわされて、中味については徹底した討議がなされないまま、実行されました。 それというのも被害者が30歳の時に「30歳の勤労者の賃金の60%」が決定されたもので、年齢につれ賃金も上昇するので「生活手当」も同様だろうとの思い込みを利用されました。守る会は閉鎖的な集団で、批判をすれば追放されるのです。 私は約10年前からホームページを立ち上げて、「30歳の勤労者の賃金の60%」の出典を求め続けましたが、ひかり協会がそれに応える事はありませんでした。それどころか、反対にホームページの閉鎖を迫られ続けるという圧迫を受けました。2003年の全国総会は、会場への入場さえ拒否され、2004年には入場は許されたものの3人の監視員を張り付け、一般会員とは隔離された席をあてがわれ、トイレへ行くのさえついてきました。2005年には入場と発言を許されましたが、集会の最後で時間に追われ、中途半端な発言で質問に対する回答はありませんでした。あげくの果てに会から除名処分になりました。 当事者からの「30歳の勤労者の賃金の60%」の出典明示は、能瀬氏の裁判で制定以来初めてであります。その基準にあてはめると「資料4」と「資料5」のような過少支給になります。被告の四者は「三者会談」を通じて「生活手当」の支給金額とその算出基準を知りながら、長年にわたって被害者を騙まし続けてきました。 一度は解決したように世間では信じこまれている、日本最大の食品公害事件の重症被害者は、実はこのような状況下におかれています。「三者会談」という国も参加して裁判によらず「政治決着」されたことが、今では救済機関に逆手にとられて「裁判で判決を受たわけではない」ことを理由に救済不実施の言い訳にされています。 私は、支払われて当然の「生活手当」の差額を請求する裁判を提起し、裁判所の判断を仰ぐことにしました。 最後に、本事件は57年前に発生したため、経過説明にも多くの紙数を要し、皆様には余計なお手間をかけて恐縮です。できますれば、最初に「資料4」からお読み頂きますれば、「事件発生から17年の概略」で簡単な説明があり、おおよその流れをご理解願えると思います。 損害賠償請求裁判についての添付資料一覧 資料1─恒久対策案抜粋 資料2─第5回三者会談確認書 資料3─30歳代を迎えての被害者救済事業の基本的確認事項 資料4─別の裁判で判明した、 「ひかり協会」が重症被害者に支給する「生活手当」の 計算方式(年齢に関係なく30歳に固定した基準) 資料5─重大な出典と物証の開示を達成 資料6─森永ヒ素ミルク中毒事件年表 資料7─『森永ヒ素ミルク中毒事件から50年 被害者救済事業の実施状況』 森永ヒ素ミルク中毒事件資料館 公式WEBサイト 「救済基金の実態レポート」コーナー http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/nose-report.pdfからダウンロード可 ────────────────────────────── 【コメント】 わかっていたのに敢えて無視されてきた公害事件の引き続く闇 日本のバブルとその後の極度の精神的後退=いわゆる「失われた20年」が、この腐臭を嗅ぎ分けられず、「加害企業に感謝する公害被害者」という、有り得ないイメージの国民への「刷り込み」=プロパガンダが、一部媒体を動員する形で実行され、被害者をマインドコントロールのくびきの下に縛り付けてきた。 半世紀以上も前に発生した公害事件さえ未だに克服し切れずにいるわが国の現状と、「臭いものにフタをし続ける」日本社会のあり方を問う歴史的意義の深い裁判となるだろう。なぜなら、数十年継続するこの「ヒトゴト感覚」の積み重ねが、今の東京電力の原発の惨状をもたらしたといっても過言ではないからだ。半世紀以上前に発生した公害事件の今に続く闇は、今日の日本を写す歴史の鏡でもある。 学者、新聞記者にまで恫喝を加えてきた被害者団体 「会社がつぶれても被害者への救済を全力で果たす」と一端は約束した加害企業。それゆえ、かろうじて存続を許された。にもかかわらず、その直後から、なぜか、被害者団体組織内部で言論弾圧が吹き荒れはじめ、団体の内部会議には、「我が党は」という発言が登場するようになった。いまでは「加害企業の経営を悪化させないように」と、基金から多額の給与を取る専従者が、対外的に説教するまでになっている。 並行して、改善を意見する重症被害者の発言機会を奪う言論弾圧も数十年前から継続している。真実を書こうとするシンクタンクの学術研究者や、新聞記者にまで、あからさまな恫喝行為が加えられたことはすでに法廷でも明らかにされているが、今もって、なんら反省の色さえない。こんな行いは、「公の組織」で許されることだろうか?(岡山地裁 能瀬訴訟で公表 詳しくは準備書面参照 ちなみに学術研究者とメディアへの圧力行為は⇒ 原告側 第3回準備書面4p-5p / 原告側 第7回準備書面 8p-9p ) “被害者はカツカツ生活できれば十分だろう” などという世間の隠然たる差別意識を利用し、 重症被害者を最低水準で支配。 専従者集団は、上級管理者面をして、 上等の生活を維持 歴史の歪曲を基礎に、あたかも「公害被害者は、加害企業から、ありがたくホドコシをもらう存在」であるかのような印象を流布されてきた。まるで「最低限(最底辺)の生活ができれば十分だろ」といわんばかりである。オマケに「加害企業は良くしてくれている(生かさず殺さず程度で維持してくれている)から感謝し、エールを送れ」と、一部弁護士やメディアから強要されてきた。一体どっちが被害者でどっちが加害者か、訳のわからなくなる構図が演出され、本末転倒な関係を公然と意識化下に何十年にも渡ってプロパガンダとして刷り込まれているうちに、力関係までも逆転してしまい救済資金の削減が森永を守るためと、公然と語られるまでに至っている。 カネの力で被害者がが加害企業への奴隷根性を強要されるのなら、救済資金そのものが、それを消費する基金団体の管理層に買収資金の効果を発揮しているといっても過言ではないだろう。被害者団体の内部での森永との公然たる癒着という下劣な歴史はそれを示して余りある消せない証拠だ。 この日本社会に厳然と残存するところの、被害者・障害者は社会的に低い扱いを受けても仕方が無いと言わんばかりの強烈な差別意識をバックグランドとして、物言う被害者家族や市民の声は、かき消され、数十年以上に渡って陰湿な抑圧を受けてきた。これが、表向き語られる「福祉国家」の現実である。 実際に被害にあった当事者でなければ直面することのない冷酷な仕打ちであり、この国の深層に隠然とへばりついている意識である。
公害被害者を未だに虐げて、涼しい顔をしているこの国の体質 公的セクターも、この現実に対し、事実上、見て見ぬふりをしてきた。 そして、忍耐の限界に達した被害者家族が怒りをこらえきれず、司法の場に問題を提出した。わが国は、公害被害者にどこまで理不尽な仕打ちを加え、何度、もてあそべば気が済むのだろうか? 何度、産業公害の原点につながる過ちを繰り返せば気が済むのだろうか。 一度決着をつけたふりをして何度も裏切りを重ねてためらいのない社会をなぜ、わが国は容認してきたのだろうか。 被害者を対立させてコントロールする手法 一般的に、被害者同士を争わせて、被害者の叫びを世論から引き離し、それによって被害者を支配下におく手法は、日本公害史のなかでは加害企業や国が採用する情報心理戦の常套手段である。このような、もっとも醜い手法を活用して、犯罪者は、プロパガンダと監視、カルト的イデオロギー操作を得意技とする「革新」を旗印とする政治党派と組むことさえためらいを持たず、目くらましとして駆使し、被害者を篭絡(ろうらく)する手段として活用してきた。わが国は、「失われた20年」の中で、苦しみ続ける公害被害者の現実を忘れたふりをしてきた。その結果、今度は、自らの国土の一部を、もはや回復不可能な形で汚染してしまった。その事実さえもまた、早めに忘れようと務めているフシがある。「美しい国」の掛け声のなかで、この国はウソにまみれ、国を汚した。 「26年間のウソ」はこれにぴたりと符号するものだ。 「越えてはいけない一線」を越え続ける無節操に、一石を投じる裁判 被害者組織による重症者家族への言論弾圧は、結局、あまりに不当な、数十年間にわたり隠蔽されてきた支給基準の暴露によって、ようやく、その政治目的があぶり出されようとしている。加害企業の支出削減を優先する仕掛けか、或いは、救済基金に主として在籍する給与専従生活者の思惑か?或いは、その両方の利害が一致した結果なのか? 旧態依然とした冷戦型政治の疲労までもが、透けて見える。 いずれにしても、重症被害者への「飼い殺し」にも見える扱いが、国と加害企業、救済基金、そして言論を封殺する当事者団体上層の暗黙の合意で進行していたことだけは事実のようだ…。しかし、その「飼い殺しにふさわしいカツカツの額」の支給基準さえ、26年間、周知徹底されるかたちで明かされることなく、「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」を告訴した能瀬裁判(岡山地裁は、被告の名誉毀損を認定し、損害賠償を命令)の終盤で物証とともに明るみとなった。 しかも「カツカツの額」の半分程度は、森永の拠出金ではなく、国民の税金であるところの国の障害年金を下駄履きさせているものだ。それらの構造の問題点(被害者が重症化すると基金からの支給が減らされる、など)を国民から指摘されると、被害者団体は、機関紙でウソを書き連ねて(岡山地裁はウソを認定)個人攻撃を行い、税金の出所である国民に対して、あろうことか「よそ者」とまで書いて排撃してきた。公的資金を流用しているものとして、筋が通らないどころか、道義を完全に失した行為である。 かつて組織を追われた運動創設者が他界の前に発した警告、「公害被害者救済史上における前例のない汚点とならぬよう」にとの叱責は、金と引き換えに道義を忘れてきた被告団体の自省心・自浄作用の無さから、腐敗がとことん進行し、取り返しのつかない汚点として、現実のものになってしまった。それはまた、公害反対闘争の真の教訓を踏みにじり、超えてはいけない一線を越え続けてきた無節操な日本が生み出した、深刻な今の現実につながっている。
──────────────── 原告・被害者家族、「現被害者団体は被害者を守らぬ会」だと憤慨。 「救済基金」(公益財団法人)は不正常だとして、国民的監視を宣言。 ホームページ: 「ひかり協会救済事業 監視塔」 の宣言文 <上掲サイトにて公開されている内容を、書式を若干変更して採録する。> 森永ヒ素ミルク中毒被害者救済機関 ひかり協会救済事業 監視塔 事務所・岡山県倉敷市老松町5-4 代 表・ NPO法人コーチ作業所理事 榎原伊織 (財)ひかり協会は設立から36年経過しましたが、三者会談(守る会・厚生省・森永)の確認書を無視して、本来守るはずの被害者をないがしろにしています。「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会(以下・守る会)」は、被害者救済の基本である「森永ミルク中毒の被害者救済に関する恒久的救済対策案(以下・恒久対策案)」に書かれている内容をなし崩しにして、ゴマカシの救済を実行している「ひかり協会」と一体になって、被害者はみな「森永のお陰だと感謝している」と破廉恥にも言い放つ組織に成り下がっています。 この体たらくに、被害者たちは皆口を閉ざして不満も批判も口にしません。なぜこのような状態になったかといえば、批判をすればその仕返しに救済が受けられなくなるのではないか、ということを恐れているようです。 私の娘は生活手当1級を受給する重症被害者です。娘は森永ヒ素ミルクを飲んだことによる後遺症で、この世に生れて来てこれまで楽しいことは何一つありませんでした。ヒ素ミルク事件以来56年間の娘の人生は苦しみの連続でした。もし「恒久対策案」が完全に実行されていたら、娘の人生ももう少しは「まし」なものになっていたのではないかと思ってしまいます。私はそのような考えで「恒久対策案を守らぬ─ひかり協会」と「被害者を守らぬ─守る会」の現状を憂いて10年近くも前から、救済事業を批判してきました。 私は娘の笑顔を一度でもいいから見たいという親心から、救済批判をして「恒久対策案」に立ち帰れと叫びつづけてきました。それに対して、守る会が私にやったことは、会員としての権利の「無期限停止」その後は会からの除名でした。このように「もの言う会員」を次々と排除していったやり方は、守る会が「言論の自由」を認めず、「異論を排除」する団体であることを自ら証明しています。これだけではありません。私が批判を開始してからというものは、「生活手当の誤支給」などと今まで受取った生活手当の返還を求める請求書が、ひかり協会から送りつけられてきました。それは十数年前にまでさかのぼって、百数十万円もの金額でした。その後になってさらに百万円余追加されて、二百数十万円になっていました。 ひかり協会には60人余の職員がいて、生活手当などの計算を専門にしているにもかかわらず、このようなデタラメぶりにはあきれて物がいえません。ひかり協会の職員には、年間予算19億円の内の約4割が給与として支払われています。(※1)ひかり協会の職員の給与については恒久対策案には、ひとことも書かれていません。守る会は「恒久対策案」を守るつもりはない、と公言しています。それは守る会の役員達はひかり協会の職員も兼ねているので、「恒久対策案」をまもれば、そこに書かれていない高額な職員給与をうけとれなくなるからです。その上退職時には高額な退職金が積み立てられています。 それに比べ死亡被害者に支払われるのは、香華料・葬祭費として40万円だけです。現在死亡被害者はすでに1.000人を超えています。ひかり協会は内心では被害者が死亡するのを待ち望んでいるのではないか、とさえ邪推したくなります。死亡すれば40万円で、それ以後は生活手当も治療費も払わなくてすむからです。この40万円は30年前からいままで、増額されることはありませんでした。自分たちの給与は毎年ベースアップしておきながら、このありさまです。他の公害被害者と比べてみてください、これくらいの金額で文句もいわないのは、それだけ被害者自身が自分の命を低く見積もっている証拠です。 私は現在80歳と被害者の親としては若いほうです。これから残りの人生は、我が娘と重症被害者に笑顔が戻ることのために使いたいと、心にきめました。いままで中断していた「ホーム・ページ」を復活させるのは、そういう趣旨からです。 (※1:正確には、被害者への直接支援に該当しない一般管理費該当費目や「その他の事業」該当費目が含まれるとみられる) ------------------------------------------------------------ 「森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年 被害者救済事業の実施状況」 森永事件及び救済運動の歴史とその教訓、そして、これまで一般国民にはほとんど知る機会のなかった、現被害者「救済」事業の内部実態について実証的に明らかにし、鋭い問題提起をしている。 公害被害者が直面している過酷な現実のごく一端が、赤裸々に明かされ、我が国の民主主義の真価を問うている。産業公害と、その後の救済のあり方を考える人にとって必読の書。 著者:能瀬 英太郎 発行:恒久対策案の完全実施を求める有志 発行日:2005年1月30日 初版 私家製版↑表紙をダブルクリックするとPDFファイルが閲覧できます。 また、表紙を右クリックしながら→「対象をファイルに保存」でも、 ダウンロードできます。 ------------------------------------------------------------------ なぜ被害者団体・公益財団法人は現状の様な異常事態に陥っているのか? その背景事情をみる。 ▲TOPに戻る 33年前に始まった組織乗っ取りの謀略工作 ひかり協会の救済事業 監視塔 電子掲示板 で、本年(2012)4月段階で暴露されていた、公益性を自画自賛する財団法人の驚くべき内部実態の一端。同掲示板には、裏づけ物証の存在も明示され、極めて正確な数値データが何度も反復掲載されている。とりあえず、その一部を転載する。(重要部分は太字化した。 №266.267掲載分バラバラにアップされた内容が集約されたもののようである。2012年4月10日の掲載内容) …「【Aさん他の情報公開】 1979まで「森永ミルク中毒のこどもを守る会」の事務局長は岡崎哲夫氏。氏はロンドン開催「第9回国際消費者機構大会」へ日本消費者連盟からメッセージを頼まれ、日本代表に託した。 そのメッセージが突然、「守る会」内部で問題になった。 常任理事会で大槻高氏と北村氏が岡崎氏を責めあげ他の役員はみな沈黙。その問題とはメッセージ中に「行政責任と企業責任を追及する」との文言があったということ。それを書いた「責任」を追及され、岡崎氏は、事務局長の辞任に追い込まれた。 これが1979年のこと。岡崎氏はその年の全国総会までの残任期間は務めたが、総会後から黒川克己氏が就任した。それとともに事務局次長が4人任命され合議制となった。 その翌々年1981年─。 被害者の家族が森永乳業を相手取って起こした“萩原裁判”について、森永側の弁護士が“岡崎文書”─すなわち被害者団体の内部文書─を見たいと被害者団体幹部に頼んで来た。 被害者団体幹部は、森永の閲覧を認めることにした。 つまり、森永乳業を訴えた被害者の親を叩いて敗北に追い込むために、森永乳業側の弁護士に、守る会の内部資料を見せるということを幹部が決定した。幹部はそのことを、追放した相手先の岡崎氏へ要求した。当然、岡崎哲夫氏は立腹した。 (ちなみに『守る会運動の歴史から「三者会談方式」を学ぶ』という書籍の中に、「歴代役員名簿-119p-に、第12回(80年度)も事務局長は岡崎哲夫 〃 第13回(81年) 〃 とあるがこれは事実と異なる。この2年間は黒川克己氏が就任。重要な記載にもかかわらず。故意かそれとも単なるミスか」と指摘している人がいる。) なお、黒川氏が事務局長になって、常任理事会で大槻高氏が岡崎氏に対して早口で述べたことが良く分からなくって、録音を再生して議事録を作った。このテープ起こしを黒川氏は森永岡山事務所の職員にさせた。その内容は、岡崎夫人を誹謗中傷するものだった。それを役員にばらまいて岡崎追い落としに利用した。 森永社員にテープ起こしをさせた筆跡は、その後の、総会などでの録音をすべてテープ起こしさせた筆跡や、守る会発行文書とよく似ている。岡崎氏は筆跡鑑定依頼をした。 よく似た筆跡の文書はその後、続々出て来た。現段階では、科学的断定にはいたっていないが、森永社員のもののようだと答えた人がいる。黒川氏が事務局長をやめると、その筆跡がなくなった。 当時、このような実態を批判した親は除名されたが、被害者もたくさん除名されている。 森永告発の市民が、被害者支援で動いているときに、当の被害者やその親が当事者意識をもって、自らの運動をささえていたかというと、そうだとは言い切れないとの証言もある。不買運動の看板制作や、機関紙発送作業など、骨の折れる地味な作業に手伝いに来る人は、森永告発の市民以外ほとんどいなかったらしい。その背景には、被害者は、してもらって当然というような「甘えの意識」があると言う人もいる。 「公的資金の投入の是非」という独立のテーマが議論されているが、その「実態」をこのサイトの管理人が世間にバラシた、という「構図」をつくって、被害者が精神的につなぎとめられている、との見方もある。 ひかり協会が公益法人たりえるのかどうかは、実は、極めて微妙な問題だと指摘する人もいる。それによると、一私企業の犯罪に関する救済基金が無条件に公益法人となるのかは、議論の分かれるところであり、基金の運営は、前提条件として、憲法の精神を厳密に厳守するという高いモラルが問われる。なおかつ、審査されるべき団体が、以下のような実態であれば極めて問題であると指摘する人もいる 「役員が言論弾圧を公然と行い、そして、被害者への不当な冷遇措置とともに、本来の加害企業からの支給額を減額させるシステムを、公的年金の抱き合わせを口実として被害者を納得させ、それに納得しない被害者家族から発言の機会を奪ったり、巨額の返金請求を行ったりしている。しかも専従職の給与だけは、アンバランスに高い」 【Bさんの情報公開】 昔、父がひかり協会の所長をしていました。 遺品を整理していたら、職員(64人)の給与明細がありました。 これは1981年で、今から31年前のものです。 1番 大槻 高さん 5,345,370- 内ボーナス 1,564,600- 2番 吉川薫雄さん 5,151,910- 内ボーナス 1,481,900- 3番 丹羽清忠さん 5,011,318- 内ボーナス 1,285,820- 4番 矢野利夫さん 4,268,925- 内ボーナス 1,130,000- 5番 岡田新次さん 4,079,740- 内ボーナス 1,196,000- 以上は故人でしょうが、現役としては、 手嶋さん 3,329,340- 内ボーナス 735,420- 小池さん 3,649,424- 内ボーナス 931,200- 平松Mさん 2,448,342- 内ボーナス 686,800- 平松Kさん 2,469,960- 内ボーナス 714,450- 赤嶺さん 2,756,809- 内ボーナス 789,250- 平松Sさん 1,407,659- 内ボーナス 412,128- 元労組委員長 高城さん 3,022,033- 内ボーナス 826,200- 1980年の大卒初任給は、11万円そこそこで現在の約半分。 被害者を抱えた両親は、子どもの将来が不安で、非常につつましい生活をしていた。 人件費の伸び率が1981年に年俸534万円の者がいる組織が、翌年からその翌年にかけての賃金の伸び率を 6.75% にしている。「ひかり協会職員労働組合」についての興味深い文書も今後出てきそうである。 なお、ひかり協会常務会に大槻氏が提出(1983.7.13・第271回常務会)したが(ボツ)になったという文書によると以下のような記述がある。 「職員の給与水準についていえば、平均額では、民間企業の平均額35.2歳で212,619円(58年(1983)春闘後、労働省発表)に対し、協会職員の平均は33歳で172,214円であり、年齢で2.2歳若く、月額約4万円低いのが実態である。大学卒の年齢別給与では、民間企業(56年(1981)労働白書)と比較し、20歳台で約2万5千円、30歳台で約5万円低い。今年の賃上げ(協会)で「超大型ベア6.3%、実質2万円」と宣伝されているが、実質5.9%、9,416円である。」 1.まず被害者は公務員と比べ、職員を民間と比べている。管理者側が職員側的主張をして昇給を正当化している。 2.月額基本給のことを語っているが、実は一時金もこれ以上の伸び率である。1982から1983年への職員一時金の伸び率は一般会計予算ベースで107.2% 。計算すると、5,345,370×1.059=5,660,746- 1年で手取りが31万円もあがるが、それでも、少なすぎる、と主張している。6.3%なら、33万円。「実質5.9%である」といかにも低いと管理者側が言うが、6.3%も5.9%も年収ベースで2万円の差があるだけで高額昇給の実態は変わらない。 3.この公益法人の「国民的理解を得る努力」とは、褒めてくれる国民だけ歓迎し、批判する国民は罵倒することだ。それが「理解を得る」ことのようだ。この実態が公益法人で認められれば、表向きの報告書をつくれば、他の公益法人も、批判する国民を罵倒するような運営が許されることになる。 1983年 ひかり協会予算伸び率 職員昇給106.3%、賞与昇給107.2% 被害者への生活援助額 101.7% 2012年の給与はいまだに不明である。 「前野氏の「陳述書2」(たぶん能瀬裁判での書類)にいう「2001年理事会資料」というのもミソらしい。これは給与額が2001年のものではないことを間接的に表明しているかもしれない。理事会が使ったものが、例えば、1990年のものだったとしても、それを2001年に資料にまとめれば、「2001年理事会資料」となる。前野氏もなぜ2001年のものを引張りだしたのか?それは2011年のものだと都合がわるいから、10年も前のものを出したのだ」という意見もある。」… ▲このページのTOPに戻る ■組織内民主主義の圧殺
------------------------------------------------------------------ トップページへ戻る In Japan which passed through half a century or more from the times of the pollution(Museum of Morinaga Arsenic Milk Poisoning Incident), an abnormal situation occurs. A victim family of Kurashiki-shi charged 4 groups of government, Morinaga Milk Industry, victim group, relief funds as the defendant to the court. The plaintiff insists, "4 groups stick together each other and suppress a seriously ill victim and operated a relief fund illegally". |