更新部分へ【更新日2013.3.9】
2013年(平成25年)元旦 
─年頭ご挨拶─

 旧年中、大変御支援を頂いた皆様に、この場で感謝申し上げ、本年も引き続き、一人の市民として市民と共に歩む年にしていきたいと考えます。

広大な水田地帯の復元に立ち向かうボランティア
2012年8月 陸前高田市・広田半島(小友地区)

 森永ヒ素ミルク中毒事件資料館は、最近、各種研究機関のご支援を頂きながら、本格的な学術研究の分野へ移行しつつあります。
 12月には全国から1万6千名の教職員が集う人権教育研究全国大会のポスターセッションで大きな反響を頂きました。その中では、「森永ヒ素ミルク中毒事件が西日本を中心として発生し、全国的な被害をもたらしたものであること。被害者運動の中心が岡山に存在したこと。その後も様々な問題が継続している事を初めて知った」という驚きの声が多数寄せられました。また、12月には岡山大学の特別講義で「森永告発」代表の谷川正彦氏の講演会、そして岡山大学の「開かれた大学」プロジェクトでは、森永ヒ素ミルク中毒事件が正式にテーマとして提案され、市民と学生の協働による活発な討論が展開されました。
 
2012年、岡山大学の「開かれた大学」プロジェクトで議論された森永ヒ素ミルク中毒事件。学生と共に多くの市民が参加、濃密で活発な議論を繰り広げ、大盛況であった。
これも、食品公害事件とその後の被害者運動の正負の歴史的教訓を直視し、「市民と共に歩み市民から学ぶ」試みのなかで、皆様から頂いた貴重なご支援の賜物だと感謝しております。
 
 あけましておめでとうございます。
 公害事件をサビついた冷戦党派型の視点から陳腐化するのではなく(※1-文末)、その貴重な経験を日本の経験として歴史的に継承し、近代社会(近代経営)における市民社会論という新しい視点からの先駆的探求が日本のいたるところで活性化していると感じています。
(これらを考えるキーワードとなる政治思想は、新・民主主義論コーナーで紹介)

 8月は、岩手県・陸前高田市へ、第二次災害復旧派遣として2度目のボランティア参加をしました。猛暑の中、3日間にわたり、27万平米を超える広大な水田地帯の中央排水路の復旧工事を行いました。当初は過酷なテーマに戸惑いましたが、各県から結集した多くのボランティアの助けを借りてなんとか貫通、水田の塩抜きが可能な状態にすることができました。縦割り行政の弊害も含めて、未だ住民の移転先さえも見通しが立たないなかで、過酷で複雑な現実と格闘を続ける現地住民とお話をする機会もあり、多くの学びを得ることができました。活動の際に撮影したフィルムはテレビ特番でも報道されました。  

上映中

 
陸前高田市 第2次岡山県青少年ボランティア派遣2012夏 3の1
 陸前高田市 第2次岡山県青少年ボランティア派遣2012夏 3の2
 陸前高田市 第2次岡山県青少年ボランティア派遣2012夏 3の3

  <全>統合版(WEBブラウザの最新版が必要な場合があります)

 被災地の真の復興と自立には数十年の歳月を要すると感じていましたが、原発事故に苦しむ福島沿岸部はこの比ではないでしょう。核事故の被害者の苦しみを忘れて、無反省に原子力村の権益を保全しようとする限り、この国は、引き続き、別の場所で別の悲劇が国民を襲い続け、責任者が繰り返し「責任から逃亡」するという、度し難い無責任社会に没入していくであろうことを、被災現地で感じ、また恐れました。
 重要なことは、問題解決を、他者やその他者の一つでもある議会や政党にのみ依存するのではなく、また、同情や哀れみからではなく、市民が、市民としての自覚から、それぞれにとって取り組むに相応しいテーマを見つめ続け、まず足元から実践を始めることだと思います。

 落書き犯罪対策の取り組みも「自分の街は自分たちで守る」「街の危険に対して見て見ぬふり」をせず、「弱いものいじめ」を許さないという視点から訴え続けてすでに10年。消去作業は多くの皆様のご努力で全国津々浦々にしっかりと定着しつつあります。
落書き調査隊のホームページ )

 昨年秋に実施した第11回国境要塞国際共同調査の名古屋報告会では、百名近い市民の皆様に宇宙軍事考古学の最新の学術的成果を報告し、化学兵器の恐怖をお話する機会を得ました。「公害は化学兵器だ」というラルフネーダー氏来日時の言葉がありますが、期せずして、70年前と今日を「砒素」という人類にとっての変わらぬ脅威のキーワードで繋ぐ事になりました。
虎頭要塞日本側研究センターのホームページ )

 本年も引き続き、自身を含めた社会のあり方を考え、実践していく年にしたいと思います。宜しくお願い申し上げます。



 ※1)このサイトでよく用いる冷戦型党派性向とは
 公害事件を「大企業の横暴」なる視点から語りながらも、実際には権力と野合しつつ、被害者組織や大金が絡む「基金」を、現世の生活を甘受するため、自党の支配下に置き「根城化」することを主な戦略的政治目的にしてきた戦後の、自称「革新」勢力をさす。
 彼らは、市民運動の助けを借りつつ被害者組織が原因企業からの資金拠出を得ることになるやいなや、彼らがこれまで教典のごとく唱えてきた「悪の大企業」が「良い大企業へ変貌した」と定義をすんなり変更する。そして、「越えてはならない境界」を主張する批判者に対して、国家権力も躊躇うような組織謀略を駆使して物理的な排除を行い、一転、原因企業を賛美しながら境界線を越えて談合・野合することをためらわない。これが別名・民主集中制型の統制組織の行動特性「権力を掌握したのち、粛清の嵐を吹かせる」─であり、「その後例外なく国家資本主義の支配を実行する」─である。全体主義的で国家資本主義的、そして、カルト的で、世俗的な共産主義的言辞を操る党派の、えげつない二重人格的性向だ。
 未だに、「資本 対 労働」といった一面的現象から世界を解釈し尽くしてみせた過去の経済学者の「表向きの衣」だけ拝借しながら、人々の不満を「人類の歴史的発展法則」という「安心できる予言的・決定論的神話」に誘い込む。その後、獲得した構成員・党員への「閉じた世界論の刷り込みに不可欠な教宣活動を繰り返すことによる根城拡大のための政治運動に余念がない。資本主義的生活を謳歌するために自由気ままに「改変」した(科学の定義と無縁な)「科学的社会主義」も、すでに数十年前からは、一見「良心的なインテリの顔」をしながら弱者に近寄り、それにタカる「貧困ビジネスの表看板」といったレベルへと堕している。


徳島・扶川事件




























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2012年 元旦 ─年頭にあたって─

求められる、新しい精神の再構築。

 昨年3月11日に、わが国を襲った未曾有の大震災。
 当館は昨年8月、岡山県の60名の青年たちと、1週間、岩手県陸前高田市へ赴き、ガレキ撤去のお手伝いをさせていただきました。参加者は岡山市内の高校生・大学生・社会人。
 片道17時間をかけて翌朝到着した現地…。バーチャル画面で見るのとは全く違う光景がありました。休む間もなく作業に突入した青少年たちは、みな、現実に打ちのめされました。
 連日、33度を越す猛暑日の中、熱中症と怪我に備え、看護師が2名付きました。釘やガラス片が散乱する状況の中、全員の長靴に鉄板製のインソールをセットして釘の踏み抜き事故に備えました。重いものを運び、汚れることをいとわず、骨の折れる作業を率先して、生き生きと行う若者たちの姿は感動的でした。 未来は若者が担う。人づくりが今ほど大切になっている時はない、そして、一人ひとりの人間の質が今ほど問われている時はない…そう実感した年でした。

広大なエリアが津波で流された岩手県・陸前高田市の中心部

腐朽と再生の明暗

 一方、当館では、核事故とその後の汚染について、震災直後から微力ながら問題提起をしてきました。
 赤ちゃん用粉ミルク業界はどうだったでしょうか…。わが国が直面した過酷な現実とは、まるで無縁な世界にいるかのように、製造工程の改善を怠り、適当な検査を惰性で続け、9ヵ月後に市民の抜き打ち検査でセシウム汚染が発覚。検査体制を自力で整えた市民の活動により、一部大企業の怠惰な仕事ぶり、ずさんな品管体制が露呈しました。
 かつて赤ちゃんを大量死に追いやり、今も多くの被害者を苦しめ続けている一部業界が、その痛みを忘れ去り、このたびの食品放射能汚染問題では、他の企業と比べても最低レベルの対応を続けていたという事実。歴史的教訓を継承しようとしないわが国のもっとも悪しき一面を浮き彫りにしています。
 一方、「東京・森永告発」を結成し、現在、福島の子どもたちの低線量被曝に対応している医師の方々の活動には目をみはるものがあります。当館は、その見識に学び、開館1周年を記念して映像作品 「福島の子どもたちと森永ヒ素ミルク中毒事件の教訓」 を制作し、資料館内で上映を行っています。
35度を越す猛暑日の中、津波で塩漬けになった田
んぼのガレキを撤去する100人以上のボランティア。

責任を取らず雲隠れした原子力災害の責任者と、踊り続ける御用学者
 言論界、たとえば雑誌『文藝春秋』最新号では、権力を乱用して原子力を推進した勢力を、徹底追及し、かつての極東軍事裁判になぞらえて、「公職追放」を含めた処断をせよ、という厳しい見解が登場するに至っています。原子力災害で命と同じほどに大切なふるさとを追われたおびただしい人々の境遇と、日本の国土への子々孫々への深刻な汚染…。その一方で、事故時の東電の最高責任者や規制当局の責任者が何食わぬ顔で退職したり、雲隠れしている事実。それを追及もしようとしない状況は、異常を通り越して、日本社会全体がコメディ化しているとさえいえます。わが国が世界に発信してきたいくつかの価値観さえ、音をたてて崩れつつあるといってもよいでしょう。その現実を直視すれば、このような意見が、メジャーなオピニオン誌に登場するのも当然のことです。

作為的な「科学・技術混同論」の登場に細心の注意を
 最近にわかに登場している、「再発防止のためには企業や組織の責任をあまり追及すべきでない」とか「救済と原因追求は別立てで」という言説の登場は、通常時マネジメントで非常に慎重に検討される危機管理上の要因追求・対策立案手法の真意を捻じ曲げ、幼稚化しています。それを、人為的犯罪による人的被害対処にまで機械的に拡大しようとするものです。
 科学論を巧妙に使いながら、「予見可能性」を監督行政や購買先他社になすりつけ、原因企業側だけには「予見不可能性」を認めるという恐るべきご都合主義。それが今回大手をふって登場しているのは、原発事故でのあまりに広く根深い放射能汚染による人的被害と因果関係の追及の困難性への諦観が、この言説を愛好する何らかの意図をもった人々にとって有利であるからかもしれません。問題は、このすり替えを、こと原子力災害にかぎらず、将来発生するであろう組織犯罪に備えて意図的に推進しているものがいることです。

↓【これでも未だに想定外?…】独立行政法人・原子力安全基盤機構が事故前に、原子力防災専門官向け資料として作成していたとされる、炉心溶融のシミュレーション画像。お上品なナレーションでヒトごとのように朗々と語る空恐ろしいビデオである。今回の事態より過少な評価で、建屋爆発を含まない願望にあふれた「ケーススタディ」だが、こんなビデオを作っていながら、およそ「事故」というものを、すべて「想定外」と強弁してしまう、わが国のお粗末な現実だけを見せ付けている。

「想定外」…
「自然界には人知が及ばない。だから公害も事故も仕方がない。被害が発生してはじめて知見となる。悪気がない企業の責任を追及してはいけません…」
凄惨な歴史を「忘れたふり」をする、社会意識の欠落した似非科学論。

 警戒すべきは、現在「放射線は怖い」といって、一部でもてはやされるタレント化学者の言説(※)にもみられるように、科学と技術の概念を意図的に混同させ、人類にとって前提として存在する科学的認知への限界性を、技術展開時における予防安全に敢えてからめて混同させ、組織犯罪への許容論と結合させる動きは、今後の日本社会に暗雲を投げかける可能性大です。市民の素直な憤り、自然な疑問を、「寛容的」な響きで抑え込む耳障りのよい「科学論」 「組織論」の諸説が登場していることには、その真意、背景、動向を含めて慎重な分析と十分な注意が必要です。(※ 原発震災コーナー 「4月9日時点での資料館のコメント「責任あいまい化の科学論」の項 ご参照) 【特設ページ 不思議な科学・技術論】にも収録

「悪さ加減」の直視ができる国へ
 問題点や、悪さ加減が徹底的に抉り出されれば、それを乗り越えていくこともできます。しかし、情報を公開せず、現実から目を背け、美しい言葉を躍らせてお茶を濁すことに精力が注がれれば、結果として現実が取り残されるだけです。
 たとえ「役に立たない」「無謀」と言われても、現場に赴き、理不尽な現実と泥まみれになって格闘し、自らの無力さを痛感する市民のほうが、今の日本には大切な存在だと思うこのごろです。

苦渋の歴史を「寝た子」にすり変える日本の病理
 産業公害に関しても、過去ではなく現在の問題として捉え続け、現状を改善する教訓にしようとする市民の存在は、かすかな希望の灯火といえるでしょう。このような努力を続ける人々を、まるで、「寝た子を起こす」邪魔者、「よそ者」のようにしか捉えられない人々や当事者までが存在する現状こそ、日本社会の病理です。それは第二の災厄を準備する危機意識の喪失をも同時的に示しています。
 原子力災害とそれへの対応も、歴史の痛みへの共有作業が維持継続されていたならば、かなり違った展開になったであろうことは容易に想像できます。それは「森永告発」の市民が今もって実際に果たし続けている勇気ある諸行動をみても一目瞭然です。
猛暑の中、リーダーの指導のもとガレキ撤去に向かう岡山県の青年ボランティア

現場・現実から物事を考え、小さなことから確実に実践する力を。
 話は戻りますが被災した現地に立つと、全く違う現実が見えてきます。暑い時期や寒い時期では、ただでさえ足りないボランティアの数も少なくなります。広大なエリアを埋め尽くす瓦礫も、実際には、人々の生活の痕跡ばかり。しかも表面を取り除いても、その下に更に、深く深く、痕跡が埋まっています。過去の震災が地層として確認できるという科学者の指摘も納得がいきます。海岸から樹林の奥深くまで津波がおしよせ、塩漬けされた森林は枯れ死を待つだけとなっています。塩をかぶった田畑の再生を誰がするのでしょうか。
「忘れない」と言われつつ、忘れられる被災地の
現状。仮に大型のガレキが撤去されても被災者
の故郷の復興には程遠い。

傍観者意識ではなく、当事者意識を
 映像で切り取られ、暖かいお茶の間で物語として見る事と現実との乖離はあまりに大きく、表現が困難なほどです。しかし、その乖離を直視することが、私たちにはもっと必要だと思われます。実際、被災地では、阪神大震災の教訓も十分には活かされず、原発事故でパニックに陥った政治指導部が振りまく安全神話の続編により、人々は混乱させられたままです。復興ビジョンなどは、まだ程遠いように見えます。石巻モデルといわれるシステマティックな救援復興活動が展開されている地域もあれば、忘れ去られたかのように原始的な対処を強いられている地域も存在します。
樹林の奥まで流れ込んだヘドロの中から被災
者の生活用品を掘り出す高校生ボランティア

社会改善の中心に市民が座る時代に

 人類の未来は、自然への畏怖を忘れず、自然との共生を図り、最大の環境破壊でもある戦争を避ける努力の中にしか存続しえないものです。そのためには一人ひとりが、社会全般にわたる豊富な知識と教養・バランス感覚を身につけ、自問自答と試行錯誤を繰り返し、自ら変わっていく努力と勇気を発揮し続ける必要があります。

政党政派やイデオロギーに拘束されない自由市民の活躍が、民主制の腐敗を防止する。
 そして、市民一人ひとりが生業の傍ら、社会改善へのテーマをしっかりもって、現場・現実から出発し、視野を広く持ちながらも、小さなことを大切にし、確実に実行することが欠かせません。これは「森永告発」代表の谷川正彦氏が昨年の岡山大学講義で学生に訴えた趣旨でもあります。社会の問題、政治のあり方は政党や政治家に任せとけ、という意識ほど、社会を悪くする思考方法はありません。それは、市民を単純に労働力に置き換え、一人ひとりの人間の質やあり方を捨象して、社会矛盾を唯物史観というあとづけ理論で説明し、社会矛盾への怒りを階級闘争へと収斂させる冷戦時代までの思考方法です。それは市民の思考を停止させ、社会全体を停滞させます。これが左右の全体主義の前提条件を形成し、最終的には血なまぐさい武力闘争を再現します。信仰における過度な原理主義的世界観もまた同様の効果となります。共通しているのは、社会を論じながら、個人がいつのまにか消えてなくなることです。個人の集合体のあり方を論じていながら、個人のあり方を論じることを禁止する…これこそが、あらゆる共同体・社会・組織・国の行く末を誤らせる思考の萌芽です。過去の歴史を振り返れば、この思考が行き着く、マッチポンプ型&ボス交渉型、ヒロイズム待望型、あるいは、他力本願型の劇場政治こそが、最大の災厄である「戦争」への最短コースといえるでしょう。

密室政治を排し、透明性を確保することは民主制の根幹
 公権力やその庇護をうける組織体は、市民社会によって常時監視されるべき対象であり、情報の公開と政治の透明性を確保することは民主政治の前提をなす根本原則です。それはまた、対象組織体の構成員が単なる犯罪者となり、市民社会から隔絶した集団に堕してしまわないようにする市民社会からの愛情でもあります。
 市民が担うべきテーマは無数にあります。多様な市民が、問題意識を旺盛に持ち、得意分野を深めて、お互いに広く緩やかなネットワークを形成し、それぞれのスタイルを持ちながら多元的に政治にかかわっていけば、既成政治が及びもつかない大きな改善が可能となります。冒頭で述べた、最近各地で開設が相次ぐ「市民放射能測定所」の取り組みも、「社会の透明性を確保する」という市民主義に基づくより成熟した民主制への努力のひとつといえます。このような「一隅を照らす」活動を市民社会的視点から再定義すれば、旧態依然の政治運動がなしえない、それとは本質的に異なった、未来志向の市民のテーマが無限に発掘されてくるでしょう。
 本年が、わが国の精神の再興にもつながるよう、当館も研鑽を積んでいく所存です。









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森永ヒ素ミルク中毒事件の概要は、以下の文献、当サイトの学術論文アーカイブからも、ご覧頂けます。


↓現在の問題点にまで踏み込んだ能瀬英太郎氏のレポート




↓能瀬レポート 英語版  (Nose Report)The Morinaga Milk Arsenic Poisoning Incident  50 Years On   by Eitaro NOSE



表向き「公正中立」を偽装して登場した「第三者委員会」が、被害者を無視して
勝手に作った不正な「診断基準」。その文中に使われた「原病」という表現に
ついての解説つき。↓
能瀬レポート日英対訳版 
まだ解決を見ない日本の戦後初の産業公害 
PDF:136KB 
(著作権Free: 英語教育の教材等ご自由にコピーしてお使い下さい。)

(日本における第三者委員会方式は森永事件以降、常用され、水俣病でも被害の隠蔽に活用されるようになる
という要注意なもの。)

東電・福島第一原子力発電所事故を考える(事故後1ヶ月までの考察)

東電・福島第一原発事故粉ミルク放射性セシウム汚染問題と森永ヒ素ミルク中毒事件の教訓

↓救済システムでの問題発生を学術的視点からすでに予期している秀逸な論文。






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