私の子育て奮戦記
トチタロ
旭川荘「バンビの家
父親の会」では毎年父親達が交替で「子育て実践報告」を行なっています。平成8年1月、哲平が小学校2年生の時、私の順番に当たりました。
これは、その時参加者にお配りした「私の子育て実践報告」のレジメに、その後の経緯や、当日の話の下書きを含めて加筆訂正したものです。
(平成12年12月加筆 現在:哲平は中等部1年です)
はじめに
私は専門家でもなんでもないただの親です。ただ皆さんよりは2〜3年早く自閉症児とつきあいを始めたばかりの父親です。(注:この実践報告会に参加され、私の話を聞いてくださったたのは、ほとんどが当時就学前のお子さんのお父さん方でした。)
これからも一緒に勉強させていただきたい私ですが、これまでの哲平の子育ての中に、もしかしてみなさんへのヒントとなるようなものがありましたら・・と、拙い発表ではありますが今回前に立たせていただきました。
1. 誕生より、障害が見つかるまで
2.障害(自閉症)の告知
その医師の診察室には2度と足を踏み入れず!!。
「父との思い出」
3.病院巡りの時期
4.旭川荘児童院で「バンビの家」の紹介
5.障害児を受け入れてくれる保育園を探す
「親として、もちろん哲平のことはまるごと受け容れている。
ただ障害が少しでも改善され、他人とコミュニケーションがとれるようになることが、哲平の人生にとって幸せにつながると思えばこそ、訓練には通わせる。」
話はいつも、いつまでも・・平行線でした。親としては、スキルを身につけ、能力を伸ばし、弱い所は手助けすることが、本人の選択肢を増やすことにつながり、それが将来の自己決定権を持つことへの道になる・・そう信じて、先生(保母)とは対立しながらも旭川荘での療育は続けました。
6.将来を考え、地域の幼稚園へ
「飛び出しによる事故が怖いので、せめて門に扉をつけて欲しい」これは、OK。
など、障害の状態を園と教育委員会に理解してもらい、出来る範囲でのの対策はとってもらう。
7.自閉症に対する文献あさりと仲間探し
「バンビの家 父親の会」
この頃(平成5年頃)は年に1回父子キャンプで顔を合わすだけ。
キャンプが終われば、「また来年会いましょう」、というような状態。
「自閉症協会 岡山県支部」
電話をしても「最年少の方がもう20才を過ぎているので、今入会されても小さい方のお役にはチョット・・」
そんな訳で、現在(この発表をした平成8年当時)は兵庫県支部に入れてもらい、キャンプや講演会などにも参加させてもらって、先輩方の貴重な体験談も聞かせてもらっています。
(注:現在は「バンビの家 父親の会」のメンバーも岡山県支部にみんなでそろって入会し、すっかりリニュアルされました。)
「ミルクの会」
妻が朝日新聞厚生文化事業団の「お母さんのための自閉症セミナー」で一緒に勉強したお母さんたちと、セミナー終了後に「せっかく知り合ったんだから」と作った会です。
毎年家族ぐるみでキャンプなどをしていますが、なにしろ関西在住の方ばかり。
岡山でもそんな集まりが欲しい・・岡山市の障害児保育の拠点園などには母親の会もあるそうですが、郡部にはそれもない。みんな一人で頑張っています。
(注:やがてそんなお母さん達が「この指とまれ」と集まってできたのが、現在の「岡山県自閉症児を育てる会」です。)
8.就学を控えて
親から見て、現在の哲平にとって最も適していると思える教育とは?
最も受けさせたい、将来のためになる、本人が過ごしやすい学校生活とは?
(2)行動は多動で、目を離すとどこへ行くかわからない。
(「止まれ」「待て」も本人を目の前にしての数瞬で、
走り出すと制止も効かず、呼び戻しもできない。)
(3)機械的な記憶力は認められる。
(アルファベットは全て覚えていたり、1年ぶりに(生涯2度目の)
入ったスーパーのトイレの場所を記憶していたり・・
適切に行なえば、学習の効果は期待できる。)
(4)大人との関わりはもてるが、子ども同士での遊び等は無理なことが多い。
(例外は兄との関わりであるが、これには兄の方が大人と同様、
譲歩してつきあってやっているためか?)
(5)椅子に座って集中している時間はきわめて短時間。
(小学校から教室で実際に使っている椅子と机を借りてきて練習・・
一つの課題に集中して取り組めるのは、まだ5〜10分程度)
(6)できれば地元の学校に通って、地域に友達(と、まではいかなくても哲平
と哲平の障害の理解者)を作ってやりたい・・・親としての希望。
〇 普通学級への就学は、以上の哲平の状態から、最初から候補からはずす。
〇 では、養護学校か、普通学校の個別学級か、の選択。
各校の校長先生との対話や、授業を参観させてもらっての我が家なりの比較
養護学校の利点 ⇔ 個別学級のデメリット
個別学級の利点 ⇔ 養護学校のデメリット
以前、父親の会の会報「ばっぼつーしん」にも書かせてもらった、高砂市で自閉症(成年)のお子さんをもつTさんからのアドバイス
「学校に通っているのは長い人生の中でみたらせいぜい10年ちょっと。卒業後どんな人生をおくらせたいか、それを考えて学校も選んだほうがいいよ。」
「就学について」
我が家の希望・・将来も地域で普通の暮らしを。それもできれば生まれ育ったこの地で。
それならやはり理解者を増やすためにも地域の小学校へ。
〇 学校の選択
実際に授業を参観・・教室は校舎の北の端、体育倉庫などに挟まれた人通りの
ない場所。目につかない所に隔離しているような印象。
クラスは遅れている科目の抜き出しのみの通級制の予定
普通学級で授業を受ける時は、親のつきそいが必須条件
(実際にそうして通っている親子の姿も見る)
校長先生との話「現在は通級制のクラスのみですが、そういう障害の状態でし
たら、入学される時には固定制のクラスをつくりましょう。」
教育委員会の話「1年目は無理でも、次年度にはこの小学校に、知的障害児学級
とは別に、情緒障害児学級を作るよう努力しましょう。」
みなさんの誠意に包まれて、哲平の就学が決まりました。
みなさんに感謝です。
それでも県から、正式な就学通知が届いたのは3月末、それから急いで学校指定の制服や学用品を買いに走りました。
9.小学校に入学して
TEACCHをもとにした教育・・『構造化』への働きかけ
担任の先生「自閉症については何も知らないので、おまかせします。」
全面的に任せてくれて、こちらの希望通りにしてもらえる。
(T) 場所の構造化
学校側にお願いして、空き教室から黒板や書庫、ロッカー、丸テーブルなどを運び込んで教室の中をいくつかに区切り、
(小学校入学時のたんぽぽA組の様子)
と、いうように、その場所では何をするのかがわかるように設定。
圧迫感を避けるため、仕切りの書庫は高さを1m程度のものにし、個別学習の場所も運動場に面した窓際に設定し、明るい雰囲気と採光にも配慮した。
高さは1mでも、座れば落ち着いたスペースが確保でき、運動場も棚(この棚に課題を置く)にさえぎられて座った状態では見えないため課題に専念することができた。
(U) スケジュールの構造化
「自閉症児は次に何をするのか分からないと混乱しやすい。」
絵やポラロイド写真でカードを作り、長めの紙にクリップでとめ、1日の流れが分かるようにした。
また、教室の移動の際などには、親学級や保健室・トランポリンの部屋などを書いたカードを手に持って移動。
到着場所の、それぞれの教室や机(親学級)にはカードポケットを用意しておいて、カードを自分で入れる。
(V) 課題の構造化
色や形のマッチングや、数の課題、名詞カードなど、入学当初は視覚に訴えるような課題を考え、一つずつを色のカードを貼った箱に用意いれて用意する。
時間の初めに色カードを並べて、その時間の課題と量がわかるようにした。大体1時限に3〜4個の課題で、最後は好きなパズルの課題にして、時間が余っても課題が終わればプレイエリアに行ってもいいことにした。
指導のやり方や課題の設定は、それまで通っていた「バンビの家」の指導を参考にしたり、朝日新聞の「親のためのTEACCHプログラム」「教師のためのTEACCHプログラム」のビデオや、TEACCEHの各種書籍を参考書にして考えた。
(「自閉症児の発達単元 267」「自閉症の療育者」「親と教師のための個別教育プログラム」など)
ただ、親としては、いろいろ考えて精一杯の事をしてきたとの思いはあるが、専門家のアドバイス・指導も得られない環境だったので、TEACCHの表面的な技法を真似ただけの“TEACCHもどき”にすぎないのでは・・という批判は甘受。
個別指導については、先生がやり方がわからないというので、最初は親がついて教えることになった・・週休2日制を利用して、週のうち私が2日、妻が4日というペース。
生活面では、入学式の後、担任となった先生が6年生を集めて、哲平の紹介と障害の様子を話し、みんなの理解と協力をお願いしてくれる。
―― 以後、上級生、特に6年生にはとてもよく面倒をみてもらえる ――
休み時間には、教室に上級生が大勢来てくれ、一緒に遊んでくれる。
(おもに、パズルやイラスト、絵本、トランポリンなど)
10.脱 『構造化』 への取り組み
親の作った“TEACCHもどき”の環境とはいえ、構造化された環境により哲平は、すごくスムーズに小学校生活にとけこめ、全く混乱・パニックをおこすことなく課題に集中できた。
机について学習する態度も身につき、想像した以上の成果があがり非常に良かった。
みなさんにも、ぜひ出来る範囲での構造化された環境を作ることをお勧めします。
(我が家の場合は、全面的に親に任せてもらえたが、一般的には先生の指導により・・という事になると思います。)
〇 TEACCHプログラムの限界の認識と脱構造化への試み
これほど、効果のあったTEACCHの技法ではあったのですが・・・
実はこの部分、当時の聞いているお父さんたちを意識して多少脚色がありました。(もう時効ですね)
実際には脱「構造化」は意図的に行なったものではなく、担任の先生との意見の齟齬から有無を言わせずという状態で行なわれてしまいました。
(親としてはその後もずっと、TEACCHの技法に基づいた療法を続けたいと思っていました。)
「他にも別の障害のある子もいますので、哲平くんのためだけの指導はできません」
ある朝教室に行ったら、突然、哲平の個別学習のスペースはなくなっていました。
「今日からはみんないっしょ、一律に教えていきます」・・先生の宣言、方針の変換でした。
親がTEACCHがいかに有効だと思っても、担任にその気がなければ、TEACCHは学校の教育現場では採用されません。悲しいかな、これが当時の岡山におけるTEACCHの限界だったと言えるかもしれませんね。親にできるのは、やむをえずのレジメに書いたような、本人に対する「脱構造化」へ向かわざるをえないためのフォローと、将来、指導にあたる方や、就労してからの周りの方が、TEACCHに理解のある方ばかりとは限らない、という事の覚悟だけでした。そしてそんな環境の中でも落ち着いて生活できるだけの「自己コントロール力」を哲平につけてやることの大切さも、反面教師として思い知らされました。
パニックをおこして苦しむことになるのは哲平自身です。そうならないだけの力を、自己防衛として身に付けさせたいと思いました。
それでも、いまから振り返ってみると、小学校の入学と同時に構造化した環境を作らせていただいたことは、それがたとえ自閉症について何もわからず、親に丸投げされた結果とはいえ、哲平にとってはとても良かったと感謝しています。
おかげで、安定した小学校生活がスタートできたこと、これはまぎれもない事実なのです。
それまでの安定があったため、個別学習のための机と衝立がなくなった朝も、なんとか声かけだけで納得し、たいした混乱もなくのりきれました。
これが全てをいい方に、プラス思考で考えたい我が家の結論です。(いまでも、あのまま構造化された環境が続いていれば、もっと安定して学校生活がおくれたはず・・と、ちょっぴりは悔しい思いは残るのですが・・(^_^;) )そして、担任の先生とは哲平の療育方針についてはその後も意見の一致が得られませんでした。できれば、親の療育方法(周囲からはTEACCHを基にした援助、本人には自己コントロールをつけることを促す指導)にも関心と理解を持っていただける担任の先生を選んで欲しいと、校長先生にお願いしてみました。やはり家と学校で、同じ方向性を持って哲平を育てていきたいと願ったからです。その願いはかなえられました。
新しく2年生から6年生まで、マンツーマンでついてくださった先生は、みんなそれぞれ哲平の成長にとっての、最善の方法を親といっしょに考えてくださる先生方ばかりでした。思いきってお願いしてみて良かったです。最後まで、プラス思考の結果報告でした。
11.現在(平成8年:小学校2年生当時)の状態
学校生活はある意味では、非常に構造化しやすい生活。
最初にTEACCHの技法などを使って、「時間割」というものが把握できたらすごく暮らしやすい環境になる。(・・ただし各種行事を除いて・・行事の苦手な自閉症児たちです)
12.これまでの子育てをふりかえって
「最初に告知された通り、やはり治るという事はなく、生涯つきあっていかなければならない障害だということを認識、覚悟。」
⇒⇒「それなら、おちこまないで哲平が少しでも生きやすく、幸せに暮らしていけるよう努力を続ける」
就学前には目を離すとあっという間に行方不明・・1日に2度も迷子係のお世話になったことも。
睡眠障害で、夜寝てくれなくて、夫婦で1日交替で眠い目をこすって相手をしていました。
夏に行水をしていると思ったら、素っ裸で抜け出し1kmほど離れた保育園へ裸足で脱走。
そうかと思うと冬に水風呂にはいってガタガタ・・つい4日前にも水風呂で“プール、プール!”・・「哲平! 寒くないのか!」
近所の家に勝手にはいりこんで、「おかあちゃん、誰かが私のベッドで寝てる!」ゴメンナサイ。
バンビの父子キャンプでも偏食がひどくてなにも食べられなくて、こっそりボランティアさんをカップ麺の自動販売機の所へひっぱって行きおごらせたとか・・後で聞きました、スミマセン。
いまだに首の後ろを剃られるのが嫌で、散髪屋で膝に座らせての後ろからの羽交い締めは私の役目、手の空いた人は全員集合で動かないように左右から・・一体何人がかりの散髪やら。
・・エピソード、武勇伝は他にもまだまだ書ききれないほどいっぱいあります・・
でも、いまでは笑って思い出話として話せることが多いです。
いまでも大変な思いや心配はいっぱいしているけれど、これもきっと将来の思い出話になる ―― そう思うと、苦労だとは思えないですね。
それ以上の喜び、楽しみを子育ての中からもらっているので、“苦労”しているという気持ちはまるでない。
これが実感です。
もし、哲平がいなかったら、風呂上りにビールを飲みながら、ナイターでも見て、なんとなく過ぎていく毎日・・今は結構、波乱万丈、悪戦苦闘、八面六臂、夫婦の会話もいっぱいあって、生き生きとした毎日。
哲平にとっても1度しかない人生、私にとっても1度しかない人生。
哲平のおかげで、人生ドラマティックに楽しませてもらっています。感謝です。
● 人に愛されるように育てたい
いわゆる「愛される障害者」像と誤解されてしまいそうですが、そうではなくて、具体的には他害・自傷行為の習慣はつけないように、気を配りました。
その兆しがあった時には、なるべく早くその原因となった刺激をとり除いてやるとともに、本人にも「その行為だけは許さない」という姿勢で厳しくやってきたつもりです。いまの所本人もその思いに応えてくれています。いかに障害とはいえ、人に愛される、一緒に暮らしていくためには、他害・自傷だけは許されないことが多いです。
● 夫婦でスタンスは同じに
一緒にほめる時はほめる、叱る時には叱る。
健常児の兄姉では、夫婦がそれぞれ、叱り役・なぐさめ役で本人をあまり追いつめないようにする事もあったのですが、自閉症児の場合には混乱の因ともなる。
よく話し合って、なるべく教育方針でも同じになるように。
子育ての問題点を相手のせいにしない・・特に絶対母親のせいにはしない。
父親のせいは時には仕方がないか・・なにしろ休みの日にしか関われない事も多い。
● 禁止的な言い方よりも、肯定的な言い方を使って指示
「立っちゃダメ」よりも「座りなさい」
何をすればいいか、すぐわかるように、簡潔な言葉で、普通の口調で。
● パニックをおこしても絶対に譲らない
1度譲ると、その状態がインプットされてしまい、同じ場面で同じようにパニックを起こすことになりかねない。
コンサートやレストランなど、公共の場所で、パニックがまわりに迷惑をかけてしまうようなら、もったいなくても黙って連れ出す。
ただ最初からあきらめて連れて行かないのではなく、行ける場所を徐々に増やすように根気強く。1度行けた所は、次には比較的楽に行けるようになる。
● 理解者を一人でも増やす
家族、親戚、知人、近所へと正しい理解の輪を広げる。
特に母親の精神衛生上、祖父母(舅・姑)、親戚に理解してもらうのが大事。
一方、実家の祖父母は障害に対して認識が甘く「すぐに良くなる」などと慰めることが多い。かえって辛い気持ちになることもあるので、やはり正しい理解を。
● こだわりについては、許容範囲であれば気にしない
人間誰でも、大なり小なりこだわりを持って生きている。
それが危険な事であったり、他人に危害・迷惑をおよぼすこだわり以外は“あえて”気にしない。
―― そのうち自然にとれてくるこだわりも多い。
―― 一方原因を無視してこだわりだけを止めても、別の形で出ることもある。
● できる範囲でお手伝い学習を
我が家の場合・・
最初は食事の配膳から・・父母はわからなくても、なぜか家族の茶碗の
置き場所はわかっている。
新聞を門から取ってくる・簡単に思われるでしょうが、幼稚園時代は
そのまま門から脱走。
最近やっと頼めるようになりました。
● 楽しみ、趣味をみつけてやる
―― できれば将来、余暇の過ごし方につながるような、ふさわしいものを
今は宮崎駿のビデオやアニメ絵本に夢中・・いいですね、趣味としてOK。
将来運動不足にならないように、身体を動かす趣味も・・
13.将来に向けて
小学校時代は確かに黄金時代ですが、思春期にもうひと山あると聞きます。
―― 年長児、成人された自閉症の方の親御さんからのアドバイスは貴重。
100冊の本より、一つの体験談で救われることもある。
私は自閉症協会兵庫県支部で個人的にそんな話を聞ける機会もあるが、やはり岡山で、皆さん方と一緒に・・
「朝、普通の声でオハヨウと起こしてくれた。」・・なんだ、すっかり治ったのか・・と思ったら夢だった・・ 語り合ってみると、お父さんたち、みんな1度はこんな夢を見た事があるそうです。
同じ思いのお父さん、そしてお母さんたちです。
また、話あっているうちに新しい視点から、問題を見つめ直すこともできるようになることも・・
今が、これまでのいきさつを越え、みんなが集まるチャンスなのでは。
〇 就労について
14.・・その後の我が家・・
この、「私の子育て実践報告」を発表させてもらってから、ほぼ5年が経ちました。
哲平も、もう中等部1年です。子どもから少年の顔に変わってきています。
これまでの歩みを簡単に報告させていただきます。
ここからは、詳しくは我が家のHP「てっちゃん通信」に載せています。よかったら併せて見てやって下さい。
〇 幸せだった小学校時代
2年生から、6年生まで、先生がずっとマンツーマンでついてくださり、いろいろ配慮してもらいました。
いっしょに通った子ども達も、みんないい子で哲平のことを気にかけてくれました。
我が家の居間に6年生、最後の運動会の写真が飾ってあります。
組体操が始まる前、みんなが「てっちゃん始まるよ、大丈夫?」と哲平を覗きこんでいる写真と、
ピラミッドの土台になっている哲平の背中にそっと手が伸び(哲平のチームのピラミッドだけは土台が一人多く、無理をかけないように配慮されていました)、哲平もちゃんとピラミッドに参加している写真です。
いい環境で、本当に安定した小学校時代でした。
哲平の卒業とともに、情緒障害児学級もなくなってしまったのがとても残念です。
〇 IEPの作成
せっかく積み上げている学習と経験を、将来に活かすために、IEPが必要だと考えました。と、言っても作ってくれる専門家の先生もなく、TEACCHの時と同じように、親が原案を作った“IEP もどき”です。
本来のIEPはアメリカで行なわれているような、親と専門家の間の教育“契約”なのでしょうが、我が家では、あくまで哲平の将来に少しでも役に立てば・・との思いで作った、通称TEP(Teppey's Education Program)です。参考にさせてもらったのは、インターネットで知り合った先輩のお父さんの資料や、各種書籍などでした。
幸い個別学級の担任の先生、通級学級の先生、主治医の児童精神科医の先生、言語指導の先生、みなさんに協力していただいてでき上がりました。
「取り組んで、本当によかった」
なにより良かったのは、課題を細かく設定して評価していく中で、これまで漫然と暮らしてきて、させてない経験、与えてない課題(つまり親が何の気なしに、全部やっていた)の多さに気がついたことです。
将来の自立のためには、身につけさせておいた方がいい課題がこんなにある・・
しかも、試しにやらせてみたら数回のチャレンジでマスターできる、つまり技能的には既に到達していた課題が多かったのです。
TEPを作っている間にも、どんどん哲平のスキルが増えて行くのがわかって、反省 + 感激でした。
みなさん方にも、ぜひお子さんのIEPを作ってみる事をお勧めします。
もちろん、1年間の重点課題とした中には、まだ達成できなくて中学校への繰り越し課題となったものもありました。
全ては長期・中期の目標に向けて、毎年の目標を決め努力していかなければ・・との思いです。
「TEP」
〇 TEACCH、再び
親の取り組みだけでは、やはり限界があるのでは・・と、一時棚上げしていたTEACCHですが、数年前から岡山でも、その良さが知れ渡るようになってきました。
それは、やはり日本におけるTEACCHの第一人者である佐々木正美先生が倉敷の川ア医療福祉大学に赴任してこられ、岡山の各地で精力的に講演会や研修会をこなしていただいた努力のおかげでしょう。
教育現場の先生方にもTEACCHの良さが浸透してきています。
幸い哲平の場合は、最初にTEACCH(もどき?)のおかげで、安定した学校生活にはいれたので、その後は自ら耐性をつけ、自己コントロールを身につけることに力を注ぐことができました。
「自閉症という障害は持っていても、めざせ一人前の大人!」です。
もちろん、視覚支援や構造化などTEACCHの技法は自閉症の特性をよく理解して助けになるものばかりです。
我が家と哲平にとって、かつてTEACCHとはこちらの世界で生きていくための「救い」でした。これからの哲平にとってTEACCHとは、暮らしていきやすい為の「支援」となってくれるでしょう。
〇 自律のために
哲平が、自らの人生の主役として生きていくためには、自分の意志で、自らの身体と心をコントロールしていかなければならないでしょう。
将来安定して暮らしていくために「自律」ということを重点目標にしました。
私たちのまわりの環境や社会、日々の暮らしというのは結構ファジーなものが多いですね。計画は立てていても、なかなか予定通りに行かないのが人生でしょう。
ファジーが苦手な自閉症児たちですが、少々の予定変更やアクシデントには耐えられるだけの「大人」に育った方が本人も暮らしやすいと思います。
そのためには、まず自分の身体を自分でコントロールする練習から始めました。これには、マグロ(横になって身体を動かさないように制御する)や正座、指示に従って動くDR(ダイナミックリズム)などが効果があったと思います。
身体を自分の意思である程度コントロールできるようになると、次には心の動きをコントロールする事ですね。
哲平の場合も、やがて、パニックになりそうな時には、正座して肩の力を抜いて姿勢を正すことで興奮が収まり、静かに話をすることでパニックの原因を探したり、心の動揺を押さえることができるようになってきました。
もちろん、毎回うまく行くとは限りませんが、飛び跳ねてパニックを拡大するよりは、正座をして心を落ち着かせる方を本人も選択するようになりました。結局哲平もパニックは起こしたくないのでしょう。
今では正座をしなくても、気持ちを抑えるテクニックを少しは自分なりに修得できてきたように思えます。(親の欲目で、いいように解釈しているのかも知れませんが・・)
そういうわけで、現在の我が家の療育方針は
『
本人は、自己コントロールを高め、安定した気持ちを維持する一人前の青年に
』
『
まわりの環境は、TEACCHの視覚支援や構造化を駆使して本人が暮らしやすいように援助を
』
と考えています。
〇 中学進学にあたって
中学進学にあたっては、再び悩みました。
小学校への就学と同じく、いろいろメリット・デメリットも検討しました。
現在の哲平の能力と、将来哲平が暮らしていくであろう生活・・そのためにはどんな中学校生活がいいのか・・考えた中で我が家は養護学校の中等部を選択しました。
もし中学校に入学するとすれば、再び個別学級という道になるのですが・・個別教科の面では、もはやついていけるはずもなく、親学級との交流といってもお客様になるしかないのでは。
また小学校時代いっしょに過ごしてきた子ども達も思春期を迎え、自分の事だけでも精一杯の年頃になります。受験や部活や、それに恋愛・・悩みも出て来るでしょうし、イジメもおきるかもしれません。
そんな中で哲平を暮らさせるメリットは? ・・大きなメリットは見つかりませんでした。
しっかり個別で指導していただいているようで、教育方針も納得できるものでしたが・・
小学校就学の時に考えたように、片道スクールバスで1時間、・・往復で2時間、月25日通うとして50時間、年間で夏休みなどを除いても500時間、それが高等部卒業までだと、6年で3,000時間・・・
IEPを作っているうちに、就労までのカウントダウン、そのうちの3,000時間はあまりにも、哲平の療育において貴重すぎる・・その時間の間、おそらく景色を眺めながら(バスに乗るのは大好きなので)、貴重な時がただ流れ去っていくのだろう・・親として耐えられませんでした。3,000時間あれば、必要な事を家庭でもっといっぱい教えられる。
哲平が4年生の頃、近所に新たに養護学校が開校しました。
この学校なら、車で10分もかかりません。
学校見学でも、できたばかりの学校特有の明るいやる気が感じられます。家族で(哲平も一緒に)話し合って、ここに決めました。
〇 中学校生活
小学校時代は普通学級の健常児と一緒の活動・・まわりを見て、まわりに合わせて動いていれば間違いない。
養護学校では、お手本がいない・・どうしていいのわからない、とまどい。
やがて・・先生の動きの真似をすればいいと本人が発見。養護学校では先生方が、お手本のポーズをとっている。
それがわかって、養護学校での生活にもやっと安心できるようになる。
よほど小学校時代が楽しかったのでしょう。今年のカレンダーの12月の欄に「山陽西小学校 1年生」と書いて、あります。もう1度小学校生活を1年生からやりたい・・
昨日までいっしょにいた大勢の友達が、まわりから急にいなくなってしまった。だいぶ言い聞かせたつもりだったのですが、本当のところは伝わっていなかったのかも知れません。せつないけれど、もう哲平は中学生、「お兄ちゃん」なのだ、と納得させざるをえません。時計の針は昔にはかえせません。
願わくは中学校時代も小学校時代と同様に幸せな時代となるように。
〇 「岡山県自閉症児を育てる会」の設立
前に書いたように、仲間が欲しかったお母さん達です。この実践報告をした翌年、平成9年に自閉症児を持つ母親5人が集まって、“この指止まれ”と始めたのが「岡山県自閉症児をもつ母親の会」でした。
伊部小学校の青山新吾先生の講演会を企画した際などに、仲間を募ったところ、あっという間にお母さん達が60人を越えました。
やはり、みんなひとりで頑張っていたけれど仲間が欲しかったのだと思います。
その後、「母親の会」だけでなく、父親も子育てに参加したいというお父さんも増えてきて「岡山県自閉症児を育てる会」に名称が変わりました。
それからは、こんなこともやらせたい、あんなこともやってみたい・・と、今では講演会や勉強会、山のぼりや水泳教室、AAOやキッズルーム、木工教室にサッカークラブ、女の子グループにOHAの会、夏のキャンプや冬の合宿・・etc.etc.
平成12年にはNPO法人となり、自閉症の理解を広めるため「自閉症のしおり」を作成して、岡山県下に1万部無料配布したり・・と、みんなでスクラムを組んで今も走り続けています。
目標は、子ども達を自閉症という障害は持っていても“一人前の青年に育てあげること”、それぞれ援助は受けながらであっても、“自立して地域の中でみんなと暮らしていくこと”です。
〇 自閉症協会岡山県支部のリニュアル
この実践報告の際にも、みんなに呼びかけたのですが、平成10年になって「バンビの家 父親の会」のメンバーが岡山県支部に誘い合って入会し、すっかり岡山県支部もリニュアルされました。
今はまだ講演会活動などを通じ、自閉症に対する理解と啓蒙を図っている段階です。
会員構成においても、旭川荘の関連施設の親達が多く、これからは岡山県全域への働きかけが必要となってくるでしょう。
おわりに 〜「てっちゃん通信」〜
自閉症への理解と、そんな障害をもっている哲平への理解を求めて「てっちゃん通信」というミニ新聞を作りました。
知人や近所に配ったり、名刺がわりに渡したり・・とにかく配りまくりました。
読んでいただいたみなさんの視線が、とても暖かくなったように感じています。
その後、もっと広く哲平のことや、自閉症のことを知ってもらいたいと思いHPを作成しました。
こちらの題名も、もちろん「てっちゃん通信」です。
これからも哲平の生きていく道、山あり谷あり、まわり道あり、結構たいへんだとは思いますが、それが人生ってものですよね。
これからも哲平がいきいきと歩いていくことを願って、「てっちゃん通信」はまだまだ続きます。